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「自分の好きなことを突き詰めよう」と「複業してリスクヘッジしよう」と両方言われるんだけど、一体どっち?

『これからのAI時代、イヤイヤやってる仕事はAIに任せて、人間は自分のすきなことを見つけてそれを突き詰めよう!』

『ぼくらがAIと違うのは、”熱狂”があるところだ!』

なんて話をよく聞きます。

かと思えば、

『いまの変化の早い時代、今日ある仕事が明日あるとは限らない。それに、ひとつの分野だけで秀でるのは難しい。だからいろんなスキルを掛け持ちして、リスクヘッジしていこう!』

って言われます。

両方とも言われてみれば理屈の通ってる話なので、特に疑いもせずフンフンと聞いてたんですが、よくよく考えるとこれって矛盾してませんか!?

『ひとつのことをやりきれ』と『いろんなことをやれ』と、一体どっちなんだ!!!!!!!


まずはひとつのことを突き詰めて、そこから横展開していく

結論から言えば見出しの通りです。

ただ、これはまだ今日言いたいことの4割くらいなので、続きも読んでください...!

まず『ひとつのことを突き詰めて、そこから横展開していく』についてですが、いくら『スキルの掛け算』と言ったって、それぞれのスキルが弱小だったら、意味がありません。

3レベのスキルと3レベのスキルをかけ合わせたら9になりますが、0.7と0.7のスキルをかけ合わせたら、0.49になって、余計に小さくなってしまいます。

だからまずは、『ひとつの分野に秀でる』必要があります。

『好きなことを突き詰めろ!』ですね。

その好きなことを見つけるのに苦労してるんだよ!ってのもまた別問題であって、ぼくも絶賛自己分析中です。下のnoteが、なにかの参考になればうれしいです!

ひとつなにかで実績を残すことができれば、その信用とメソッドを使って、別分野に横展開していくことができます。

これが『いろんなスキルを掛け算して、相乗効果を生み出そう』ですね。


秀でやすい分野はなにか

そして、秀でる『順番』も大事です。

自分が本当にそれを好きならそんなもの無視して突っ走るべきですが、同じくらい好きなものが2つ以上あるなら、戦略的にやったほうが結果的に『掛け算フェーズ』に行きやすいかもしれません。

ここでいう『分野』はめちゃくちゃざっくりしたもので、且つグラデーションの話でしかないんですが、『論理的に再現性のある』分野を先に注力するほうが、頭ひとつ抜けやすいです。

端的にいうと『ビジネス』ですね。

なぜなら、すごい体育会系的な言い方になってしまいますが、『努力でなんとかなりやすい』からです。

時代の最最最先端を走ってる人以外は、大抵のするべき施策はもう世の中に出回ってます。

なので、ぼくたちはまずその情報を仕入れて、それを愚直にやり続けることを求められます。

これらは時代の最先端を走っている人たちと比べた場合には『属人生の低い』、言い換えれば『再現性の高い』行為です。

なので、『まずはビジネス分野で結果を残す』のが、いちばん賢いやり方になります。

そして、ここで『ビジネス』の対義語にあたるのは『アーティスティック、クリエイティブ』と言われる分野です。


アーティスティックな分野を後にする2つの理由

この順番のほうがいい理由は2つあって、1つ目は『アーティスティックな分野は再現性がビジネスと比べて低い』からです。

俗にいう『センス』ですね。

もちろん『努力の天才』なんて言葉があるように、いま活躍しているアーティストの方々もみなさん血のにじむような努力を経ていると思いますが、そこには少なからず先天的な要素もかけ合わされています。

これは優劣のセンスというより、クリエイティブな領域にいけばいくほど『正解不正解』よりも『好き嫌い』の占める割合が大きくなるので、そこで『”なんとなく”好きだな嫌いだな』という言語化しづらいことは、先天的な要素が反映されやすいということです。

なので、まずなにかに秀でるためには、コントローラブルな『ビジネス』の分野からとっかかり始めることがオススメです。

2つ目の理由は『アーティスティックなアウトプットは、他人に見てもらいにくいから』

2ヶ月ほど前に、ぼくはこんなツイートをしました。

アーティスティックな活動とは、ここでは具体的には小説や音楽、映画なんかを指します。

これらって目先の利益がなさすぎて、多くの人にとってはなにかの『きっかけ』がないと、触れづらいですよね........

(ツイートにも書いてる通り、そもそも芸術は目先の利益のためのものではないですが!)

それに、いまはコンテンツ過多の時代で、それが逆にコンテンツに触れるハードルを高くしています。

『幾多あるコンテンツのなかからせっかく出会うんだから、絶対にいいものじゃなくちゃ!』という、失敗したくない欲求が高まるからです。

そうなると、どこの馬の骨ともわからない人がつくった作品には、よっぽどのことがない限り触れることはありません。

つまり、コンテンツに触れるきっかけは『なにが作られたか』よりも『誰が作ったか』になってきているのです。

いくつか例を挙げておくと、最近編集者の箕輪さんが音楽活動をはじめました。

箕輪さんの本業は編集者で、これまで何冊ものヒット本を出かけています。

音楽はたぶん完全に素人だと思うんですが、それでも去年の12月に開設したこのアーティスト用のアカウントは、すでに3000人以上のフォロワーがいます。

みんな”箕輪さんが”歌ってる曲を聴きたいと思ってます。

それに、このケースが『まずはひとつの分野で秀でて、その信用やメソッドを使って横展開する』例として特徴的なのは、箕輪さんがヒット作を生み出したプロモーション方法を、音楽活動でも応用しているのです。

箕輪さんは、まさに『現代の生存戦略』のお手本のような生き方をしています。


グラデーションを受け入れる

ここまでけっこう雑な二元論で書いてきたんですが、そもそも『ビジネスとクリエイティブの境界ってどこだよ!』とか『良いコンテンツってそもそもなんだ!そのなかに”人”の要素も内包されてるんじゃないのか!』とか、ツッコミどころは満載です。

あと、別にそれが好きだからって24時間1つのことをやり続けるわけでもなく、結局は優先順位の問題に過ぎないので、みんなすでに『スキルのかけ算』をし始めていると言っても過言ではありません。

なのでもし仮に戦略的にやるとしても、大事なのはそういった曖昧さを受け入れつつ、『なんとなくこっちかな〜』くらいのざっくりとした方向性で進むことなんじゃないかなあと。

歯切れの悪い結論になってしまったんですが、今日はまあ、最近そんなことを考えてるという話でした。


▼ここらへんのテーマは、『才能』とセットで日々いろいろと考えてます


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藤本 健太郎 / 編集者
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