モノクロ写真の秘密
モノクロ写真が好きだ。
それは、色に捕らわれない自由さと明確に表現したい構図に集中しやすいから、という漠然とした概念があって、
同時に想像する余地がある事に魅力を感じているからだろう。
今じゃなければ撮れない風景というのは潜在的に魅力がある。
コロナ禍による街角の寂しさは記録としては大事な価値があるけど、
それでもどこかで撮るのが嫌な気分も盛っていた。
あまりにも寂しいその風景は、ここまでの事態になってしまった事への恐怖と、
それを認めたくない感情がどうしても写ってしまうからだろう。
モノクロ=色が無い、という画像は、
実は心理的効果がある事に気付いている人はどれだけいるのだろうか。
人間の脳はかなり優秀な演算装置と記憶装置だが、その能力はそれぞれの人毎に
決まっていて記憶分野を使い切らないように、反射的に動けるように
反復して行う動作は記憶回路を通さずに自動的に行える回路を使っている。
目の間にある物を掴む時、手を伸ばし、掌を掴む物の重心を想像して適した位置と方向に向け、指を曲げて掴む物を壊さずに持ち上げられる力を加え、自分が求める高さまで手と腕、状況によって全身を使って持ち上げる・・という事を一々意識して順番にやっている人はそう多くない、と言えばわかるだろうか。
面白いもので、五感に割り振っている感覚を四感や三感に絞ると、残った感覚が使えなくなった感覚を補完するように感度が上がるのだ。そしてそれは、生命維持のために必要な反応でもある。
(試しに視界を遮り、耳も聞こえないようにしてみると、
触感や嗅覚などが強くなっていくのがわかるだろう)
画像をカラー処理する場合、輝度に加えて彩度や色合いなどの色データが必要で、モノクロで処理するよりも遙かにデータ量は多くなる事は理解できると思う。
これは人間の脳においても同じ事で、色が無いことによってより画像に対する処理能力に余裕ができ、無い色を想像したり写っていない物の奥に何があるかを想像しやすくなる。
加えて、動物である人間はどうしても暗闇に対しては恐怖を持つ。
(暗闇の中に敵がいる事を無意識に想像する)
暗い場所では色がわからないという染み付いた経験が、モノクロ写真の影についても注意を向けさせる事は想像に難くない。
同じ写真をカラーとモノクロで見るとニュアンスが違って見える事は、誰でもわかるだろう。写真を作る側としては、表現したい物を伝えるために「色が必要かどうか」そもそも「色を見せたいのかどうか」は、常に意識して撮った方が良いと考える。
WBは2750Kに調整しLeica M9のトーンで現像、PhotoshopでNIKーCollectionのColor Efex Proを使用して色作りとリサイズを行った。
香港のセントラルの路地、6月なのに既に日本の夏よりも不快指数が高いその日、空気中の湿度に中国が使う独特な形の提灯の色と人工光のコントラストが面白くて、敢えて色を強く出す現像を行った。PC現像で、自然な色から作りまくった色まで自由に表現できるようになって、色を見せるための写真も作りやすくなった。
そう、この写真は色が大事だったのだ。
DXO PhotoLab3にて現像。モノクロ化はilford Pan F+ 50のトーンを使用、リサイズとモノクロの階調をコントロールしたのはPhotoshopを使用した。
どちらの写真も必然があって、モノクロとカラーを選んでいるが如何だろう。
モノクロ写真ではカラーに比べてかなり階調をコントロールする事ができるので、暗室でやれてた事以上に、欲しかったトーンを追求しやすいのが嬉しい。
モノクロ化する流儀はフォトグラファーにとっては色々だと思うけど、私の場合は以下の順で行う事が多い。
①撮影素材の色温度をデイライトに設定し、DXOでフィルムトーンをかけて
モノクロ化。フィルター効果(撮影時にフィルターをかけるのと同じ結果を
ソフト上で再現する)は被写体によって使用する。
②得られたファイルをPhotoshopCCで開き、細かい修正や覆い焼きなどを行い、
必要に応じてリサイズ。
(そのまま使用するなら色調を整え、輪郭補正しアウトプット)
③NIKーCollectionのSilver Efex Proにより階調のコントールを行う。
→RAWで撮影している場合、飛んでいると思われる高輝度部分にもかなりの
階調データが残っているため、さらに細かい調整が可能。
フィルムトーンを再現した元データの上にレイヤーでコントロールされた
画像が乗るので、ミキシングで最終的なトーンを作る。
※HDRとまではいかないまでに、それに近い処理ができる。
④NIKーCollectionのColor Efex Pro等を使い、ビネットやデフォーカスなどの演
を必要に応じて行う。
最終手な色調を整えセピア、必要に応じて輪郭補正しアウトプット
写真の加工はなるべく加工回数を減らす事が基本と言われてきたけど、写真をツールとして絵を描くような作画をする場合は、そのセオリーを無視する事がスタートになる。
Photoshopはレイヤーが使える事から、部分的に範囲選択しその境界をぼかしてコピーして作ったレイヤーを乗せてミキシングする事で特定の部分に照明を当てたような効果(銀塩プリントの場合の覆い焼きと同効果)が得られる。またColor Efex Proというプラグインは様々な効果をレイヤー上に展開できるので、積極的な演出をする上で有効だと考えている。
色潰れ(飽和)してる、とか黒が潰れてる(階調が無い)とかをチェックは、
コマーシャルの印刷用データだったりする場合には大切だけど、影の部分をどれだけ潰すか?とかの中に表現したい意図がある場合はまったく意味が無い、と考えて良い。
ここに載せている写真は、わざと潰すとか、わざと飽和させる、という演出を輝度にも彩度にも行っていて、その全てが自分が表現したい意図に沿っているかどうか?という判断に基づいて現像した。
写真は、その日感じた気持ち通りに表現したいと思うからだ。
そしてそれこそが、写真の楽しみであり自己表現の1つだと思う。
表現したい人にとっての写真は、もっともっと自由に非常識にあるべきと思っているけどまだまだな感じがあるのは、どこかで「リアリティを大事にする」という
撮影・現像のクセの様な、自分に染み付いてしまった常識に負けている、という事なんだろうね。
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