「雨乞い男とカウンセリング(ユングをマイクロカウンセリング的に解釈してみた)」
ユングの著作に「中国の雨乞い男」の話が出てきます。要約するとだいたい次のような話です
〈中国に雨乞いの名人がいる。彼が雨が降らない地域に呼ばれて行き、そこのお堂やお寺にしばらくこもると必ず雨が降る。
ある人が
「お堂やお寺の中で何をしているのか?」と訊くと
「何もしない。ただ、自分の中のタオ(自然の摂理)を整えるだけである」と答えた。
「それで何故雨が降るのか?」とまた問うと
『雨が降らないのは、その地域のタオが乱れているからである。
その地域に入ると、その影響で私の中のタオも乱れる。
そこで、自分の中のタオを整える。すると、それに連動して、その地域のタオが整い、雨が降る』
と説明した。〉
ユングはこの話から、西洋的な因果律(原因と結果の必然的なつながりによる世界の解釈方法)とは異なる共時性(意味ある偶然の一致による世界の解釈方法)という考えを提唱します
これだけ聞くと、なんだかオカルトな感じがします。
しかしこれをマイクロカウンセリングの基本原理の一つである「関係性の中の自己」の考え方で解釈すればオカルトでなくなるのではないかと私は思います。
「関係性の中の自己」は、
『他者を変えることはできない。
しかし人は、他者との関係性の中で存在している。
そして、自分を変えることで自分と他者との関係性を変化させることはできる
関係性が変わればその中にある相手の自己が変化する。』
という考え方です。
カウンセラーは相談に来た人(クライアント)を強制的・直接的に変化させることは出来ませんし、また、しようとはしません。
カウンセラーは自分自身を変化させることで相談に来た人の「関係性の中の自己 」を変化させます。
どうするのか?
まず最初に、相手の話を批判せず、無条件に敬意を持ってよく傾聴します(これを無条件の積極的関心と言います)
そして、聴いた話をもとに、相手の世界の捉え方を想像し、その捉え方で相手の経験したことを理解してみます。
もちろん、この理解は間違っているかもしれませんから、相手に伝え返して、あっているかどうか確かめ、違っていたらまた傾聴しなおします
(これを共感的理解と言います)
そうすると、カウンセラーの心の中にクライアントと同じ苦しみが生じます。
クライアントの影響でカウンセラーのタオが乱れたのです
次に、カウンセラーは自分の中に生じた苦しみをあたかも自分のもののように感じてみて、その苦しみが自分の心のなかにあったとしても、ありのままの自分自身を無条件に肯定し、受け入れることができるように自分自身を整えます(これを自己一致と言います)
すると、クライアントはそのようなカウンセラーとの心の交流を通して、ありのままの自分を無条件に肯定し受け入れることができるようになります。
さて、心理的な問題は、ありのままの自分を受け入れることができず、自分の本当の問題から目をそらすこと(自己不一致)から生じますから、クライアントは自己一致することによって問題を解決することができるようになります。
中国の雨乞い男の話と同じ構図ですよね。
カウンセラーは相談に来た人のタオを整えるために今日も自分のタオを整えます。
ととのいました\(^o^)/(すいません一度これ言ってみたかったのです)