合唱や合奏による「自他の区別をはっきり認識しつつも自他の深いつながりを感じる経験」

音大生の方々に「これまでの音楽経験で一番感動した瞬間は何ですか?」と訊くと「合唱や合奏等で全てが一致したときです」という答えがときどき返ってきます。

「それはどんな状態なのですか?」とさらに詳しく聴いてみますと

「何年間か同じ目標、同じ気持ちで頑張った仲間と演奏していると、音のタイミングやハーモニーだけでなく、心や存在そのものまでも『全て一致した』と感じる経験をすることがあるんです。その『一致した感覚』は、自分だけでなく、その時一緒に演奏している仲間も同時に感じています。そしてその経験は、とても感動的ですが、人によっては自他の境界がなくなるように感じられて恐怖を覚えることもあります」

という答えが返ってきます。

きちんとしたデータはとっていませんが、こういった自他一致の経験をした人は、精神的な健康度が高いように感じます。

その理由は、このような自他一致の体験により、個々の肉体を超えた自我の広がりを感じると『死とは自他の境界がなくなることであり、自我の消滅ではない』と思われ、死の恐怖が軽減するからではないか…と私は考えています。

もちろん、一般的には、自他の境界があいまいになると、他者を自分の一部とみなしてしまって、他者の人格や意思を尊重できなくなったり、逆に、自分を他者の一部と感じて、他者の不当な欲求に対して抵抗できなくなってしまったりしますので、あまり良い状態とは言えません。

しかし、自己と他者の区別を、現実的な対人関係においてはハッキリと認識しつつ、この肉体を超えた自我の広がり、あるいは、自他の深いつながりを感じるならば、それは、自己を尊重するように他者を尊重することにつながり、かつ死の恐怖を和らげることにつながると思います。

この、『自他の区別をハッキリ認識しつつ、自他の深いつながりを感じる』というのは、大変困難で不可能なことにも思えますが、合唱や合奏においては、パートや声質、あるいは楽器や音色等の違いにより明確な自他の区別が認識されつつも、上記のような自他一致、あるいは自他の深いつながりの感覚が生じる瞬間があるようです。

こういった状態は、キリスト教でいうところの『自分自身を愛するように隣人を愛する』という隣人愛や、仏教でいうところの『悟り』に近いものではないかと思います。

ひょっとすると音楽によって、宗教的に高い境地に至れるのかもしれません。

   

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