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人生を、そのときの主な関心事によって8つの時期に分けるとドレミファソラシドになります

エリクソンという心理学者が、

『人の一生には八個の課題があり、それらは、お互いに関連し合いながら、何度も何度も私達の前に現れる。また、そのうちの一つが特に意識される時期がそれぞれの課題にあり、それによって人生を八個の段階に分けることができる』

と述べています。

(※ここから先に書く年齢は目安です。文化差や個人差が大きいので、年齢が当てはまらない人もいます)


、人生最初の一年くらいは

『私はこんなに無力な存在なのに、愛され大事にされている』と感じる中で

『自分は存在するだけで尊い価値があり、周りの人は基本的に私に親切にしてくれる(これを基本的信頼感と言います)』

と理解するという課題が主に達成される時期です。
従って、この時期はひたすら無条件に愛してあげることが大事です。

(ちょうどドの音が主音として、他の音の役割を決める基準点となるように、この基本的信頼感は他の全ての課題をクリアするための基盤となります)


、一歳から三歳くらいまでは、トイレ等の基本的生活習慣の練習の中で『私は私をコントロールできるようになりたい』と頑張る時期です。

(基本的生活習慣は大人が「しなさい」「覚えなさい」と教えるものではなく、本人の「出来るようになりたい」と思う気持ちと頑張りを大人達が手伝うことで学ばれます。)

この時期に、大人達の『本人の自主的・主体的な頑張りを尊重し、認める』『覚える内容を細かくスモールステップに分ける。一つ一つお手本を示しながら教え、実際にさせてみる。出来たらほめる。しやすいように環境を整える。』等の助けを借りながら、小さな成功体験を積み重ね、

『私は自分自身をコントロールし、成長させることが出来る』

と理解するのです。

例えば、「トイレに行くまで我慢できた!私は私の身体をコントロール出来るようになった!」というような成功体験の積み重ねにより、そのことは学ばれます。

この時期に、何度か失敗してしまったりしても、この前の段階で『私は存在するだけで尊い価値がある』と充分に感じられていたら『失敗しても、私には尊い価値があるから大丈夫』と思えて立ち直れます。

従って三歳くらいの子がストレスがたまると赤ちゃん返りをしたりするのは、前の段階に戻ることで、今の段階を乗り越える基盤を固めようとしているということになります。

このように、ある課題をスムーズに乗り越えるためには、前の段階の課題を十分にクリアしておく必要があります。


、三歳から六歳くらいまでは、

『あんな人になりたい』

とあこがれたヒーローやヒロインの特徴を心の中に取り込んで『将来の自分を作るときの核』を作るという課題に主に向き合う時期です。

従って、この頃の自分にとってのヒーローやヒロインの『どういったところにあこがれていたか』等をよく思い出すと『自分が本当になりたいもの、なりたかったもの』を理解するヒントが得られます。


、六歳から十四歳くらいまでは、学校で勉強や運動を頑張る中で

『最初出来なかったことも努力すれば出来るようになる』『私は努力できるし、努力することは楽しい』

ということを理解する時期です。

ここで、注意しなくてはならないのは、レディネスすなわち『ある学習を効果的なものにするための心身の準備』が整う時期には大きな個人差があるということです。

言い換えると、ある時期に『いくら頑張って出来なかった』ということも、後から(ときには何年かしてから)やってみたら簡単に出来ることもあるし、その結果すごい伸びて得意なことになったりする場合もある、ということです。

例えば、『具体例があれば概念操作が出来るようになるための心身の準備』はだいたい七歳以降に整うとされていますので、これ以降は分数のような概念操作が必要な内容も『絵を見てください。ピザを半分にしたら2分の1になります』というように具体例を使いながら習うことになります。しかし、このような準備が整う時期にも大きな個人差があります。

そういった準備がまだ整っていない子が、『みんなと同じように頑張ったのにできなかった。僕はダメな子だ』とやる気をなくしてしまい、やがて心身の準備が整って、やれば出来るようになったときに、頑張ることをせず、本当に苦手になってしまうということがあります。

(こういった心身の準備の個人差を感じやすい時期は他にもあり、たとえば十二歳頃の『具体例がなくても概念操作が出来るようになる』とされる時期もそうです。学校の勉強では、この時期以降、具体例なしの概念操作、例えばXとかYのような具体的な数字がない数式を扱うことなどが求められたりします。従って、この時期にも個人差によって同じような問題が多発します)

この時期に関わるときは、子どもの『頑張れば出来るようになった』という経験を褒めたり、たとえ出来なくても頑張る気持ちを認めたりすることで、子どもが自分自身の『出来なかった経験』よりも『出来た経験』を多く意識するように接することが大事です。


、十五歳から二十五歳くらいまでは、それまでの四つの段階を踏まえて

自分の意志で『どんな人間となり、どのように生きていくか』を決め、その目標に向かって努力し、達成する(これをアイデンティティ達成と言います)時期です。

具体的には職業を決定することでこの課題を達成する人が多いです。

ある可能性に自分自身の全てを賭けることは、それ以外の可能性を捨てることでもありますし、自分で自分自身に関して決断したのですから、その責任は全て自分で負わなくてはなりません。

とても苦しい課題です。

(ちょうど主音から数えて5番目の音である属音のソが、主音の次に大事であることと似て、これは人生においてとても重要な課題です。また、この課題を達成するために、他の課題が支えとなったり影響を与えたりする点も、音階と似ていますね。)


、二十五歳くらいから四十歳くらいまでは、その後の人生を共に歩むパートナーや仲間を見つけるという課題が意識されることが多い時期です。

『愛されることと同じくらい愛することは幸せである』

ということを理解する時期です。

この課題も、前の課題が十分に達成出来ているとクリアしやすいです(自分を確立している人はモテますよね)。しかし、前の課題を達成する前から、意識されることもよくあります(仕事に就く前にも恋愛したりしますよね)。


、四十歳から六十五歳くらいまでは、次の世代を育てることが、一番意識されやすい課題になります。ところで、この課題に限らず、課題がクローズアップされる時期は、その課題と向き合いたいという衝動が沸き起こってきますので、この時期はついつい余計なおせっかいや押し付けのようなことをしてしまったりもします。

『教えることは、相手が求めることや、どうやったら相手がよく理解出来るかを相手とのコミュニケーションの中で知ること、つまり教えるべき内容や、教え方を相手から学ぶこと』

ということを理解する時期とも言えます。

(次の世代を教え導くというのは、ちょうど導音シの音が、次のオクターブのドを導くのと似てますね)


、六十五歳くらいから後は、自分自身の人生の意味を見つめなおす時期です。

『私の人生には大きな意義があった。私は、この私の身体を超えた大きな生命と精神の流れの一部として、立派に役目を果たした。私は、この身体が失われた後も、この大きな流れと伴にあり続ける』

と満足する時期です。

(人生の最初に『自分という存在そのものの無条件の肯定』が行われ、人生の最後に『自分という存在は孤立したものではなく、他と支え合い、つながり合い、永遠に受け継がれる』と、もう一度存在そのものの肯定が行われるのは、ちょうど、ドレミファソラシドの最初と最後が同じ階名であることによって、オクターブが変化しながら永遠に繰り返されることを私に思い起こさせます)



これらの八個の時期は、基本的にはこのような順番で来ますが、上記のように、今直面している課題をクリアするために前の段階に戻ったりしますし、直面している課題以外の課題も、人生の全ての時期に、さまざまな形で、意識的あるいは無意識的に存在しています(これもまるで音楽のようですね)。


音楽を聴いたときに人生を感じる方は多いですが、逆に、このように一生を概観してみたときも、なにか楽曲を思い出したりする人は多いと思います。

さて、あなたはどんな楽曲を思い出しましたか?

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