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プロガイドのプライベート国内旅行:紫式部ゆかりの地巡り in 京都編
新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
久しぶりの投稿となりました。2023年はインバウンドが戻り江戸城の英語ガイド業も再開し、久々のガイドで嬉しい反面、バタバタした年でした。(ガイド復活についてはまた別の記事で書きたいと思います)
今回は、年末に将来のガイド業の研修も兼ねて行った京都旅行についてです。京都は壮大な歴史スポットなので、旅行する時は、何かテーマを絞らないといけません。
そこで、今回は、今日 (2024年1月7日)から始まるNHK大河ドラマ「光る君へ」の予習も兼ねて、紫式部ゆかりの地を巡ることにしました。
源氏物語が書かれた場所
早速、今回の旅のハイライト廬山(ろざん)寺から。現在、天台宗のお寺が建っているこの場所こそが、かつて、紫式部邸があった場所とされており、この場所で源氏物語も執筆されたとされています。
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この場所だけは都会の喧騒から隔絶されたような、静かな時間が流れていました
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僕は「紫式部邸宅趾」が強調されたこちらの御朱印をいただきました。
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廬山寺の場所は、京都御苑の東に位置する清和院御門を出たところにあります。京都御苑の中には、京都御所や仙洞御所などがあり、見どころもたくさんなので、廬山寺まで足を伸ばされる方は少ないかもしれないですが、今年はぜひ、行かれてみてください。
藤原道長邸跡
廬山寺を後にし、清和院御門を入りしばらく進むと、小さい木の案内板が右手に見えます。
この場所こそが、藤原道長の邸宅跡(土御門邸跡)です!
もともと平安京の内裏は現在の京都御所とは異なる場所にありました。で、現在の御所がある場所には、かつて藤原道長の邸宅が建っていたのです。
あの有名な歌「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」も、この場所で詠まれたとされています。
紫式部邸とは、まさに目と鼻の先で、歩いて5分ほどの場所です。この、邸宅の位置関係からも、両者の親密な関係性も納得できます。
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注意して歩かないと見過ごしてしまいそうな小さい案内板が立っています
御所の鬼門
藤原道長邸跡から、北に進むと御所の鬼門の方角(北東)にあたります。
古来より、邪鬼は鬼門から入るとされることから、鬼門の方角には様々な工夫がされてきました。
鬼門を守るためにはどうすれば良いか?
この永遠の課題に対し、当時の人々がたどりついた答えがそもそも「鬼門」なんてなかったことにするアイディアです。具体的には、鬼門の角を落とす「缺け(かけ)」(凹ませること)を設けて、鬼門ごと丸々なかったことにしました。
そのため、こちら↓のように歪な形の塀になっています。
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さらにもうひと工夫が。
角を落とすだけでは不十分だったからなのか、平安京の鬼門にあたる比叡山山麓の日吉山王神社から一匹の猿が遣わされたそうです。
ただし、このお猿さん、夜になると付近をうろつき、いたずらをしたため、金網を張って閉じ込められたと言われています。
「何のために来たん?」
とのツッコみは、このお猿さんの名誉のためにも、口に出してはいけないような気がしたので、心の中に留めておきました。
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この猿の彫刻は、江戸時代の名工・左甚五郎の作と伝わっています。
おまけ:豊臣秀吉が築いた御土居(おどい)跡
廬山寺でとても珍しいものが見れたので一緒に紹介します。
時代は下り豊臣秀吉が天下人となった時代です。秀吉は、京都の市街部を守る目的で土塁(御土居)を築きました。市街部をぐるっと囲む形で作られた土塁の総延長は22.5キロメートルにも及んだと言われています。
残念ながら、現在、御土居のほとんどが既に破壊されてしまっているのですが、なんと、廬山寺の一角には、その御土居の一部が残っており、今でも間近で鑑賞できます。
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おわりに
紫式部や藤原道長が生きた時代は今からおよそ1000年も前。はるか昔のように感じます。
ただ、現在の京都の街をじっくり歩けば、当時の痕跡がよく残っています。ぜひ、京都観光の際は、京都御所と一緒に廬山寺も行かれてみてください!