高輪ゲートウェイ!
令和2年3月14日、JR山手線と京浜東北線の新駅=高輪ゲートウェイ駅が開業しました。
もう記憶のかなたですが、新駅を開通するにあたり、駅名を公募したのが、2018年6月。投票の結果…
1位:高輪駅
2位:芝浦駅
3位:芝浜駅
となり、採用された高輪ゲートウェイは130位でした。
もはや、なんのために投票したのかわからない状態ですが、歴史的な視点から考えて、僕は個人的にこの新駅の名前すごく気に入っています!
(写真:高輪ゲートウェイ駅。ちゃっかり開業日に行ってきました。。)
江戸時代、この高輪には、江戸の街の入り口である門 = 「大木戸」がありました。
江戸の南の入口として、旧東海道(現在の国道15号線)の両側に石垣を築き、その石垣の間に門を建てることにより警備を強化。夜間は門を閉じ通行できないようにし、江戸の街の治安を守っていました。
(写真:大木戸の石垣と国道15号線:今でも一部分ですが、当時の石垣が残っています。)
当時の五街道の一つである東海道の江戸の玄関口ということもあり、東海道を旅する人を見送ったり、迎えにきたりする人で賑わい、大木戸の周辺には、茶屋が立ち並び大いに栄えたそうです。
また、品川は、今からは想像できないですが、綺麗な海岸線が広がり、風光明媚な場所として庶民にも人気がありました。特に月がよく見えるということで、毎年7月26日には「二十六夜待ち」(月光の中から仏様が現れると伝えられ月の出るのを待って拝む祭り) が行われ、歌川広重も浮世絵の題材にしています。
(絵:東都名所高輪二十六夜待遊興之図。歌川広重。The Biritish Museum。高輪大木戸のあたりには屋台が並び、仏様を拝むという口実のもと、飲むわ騒ぐわ仮装するわのどんちゃん騒ぎだったそうです。)
時は流れ、令和の世。
街の景色はすっかり変わってしまいましたが、それでも人々は、品川駅から新幹線に乗り東海道を下り、また、品川から羽田空港に行く。まさに、この高輪の街は江戸時代と変わらず、今でも東京の玄関口=ゲートウェイなわけです。
「高輪ゲートウェイ」歴史的な背景を考えると、素晴らしい名称だと思いませんか⁈