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少し長いつぶやき
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記事一覧

murmuring note no.1

アメリカは歴史的様式を切り替えることはできないだろう。アートのパラダイムを変更することに…

murmuring note no.2

アートは現実になる。だが、たんなる現実では面白くない。それ以上に現実はステレオタイプ化さ…

murmuring note no.3

日本は、アートを過度に難しく考えるか、何も考えないかのどちらかである。前者は、アートを高…

murmuring note no.4

日米の物質観の違いを強調する必要がある。アメリカの物質は物質主義の物であり、明確な輪郭を…

murmuring note no.5

言葉だけが気晴らしの救いの日本。言葉に相当する実体の現実がないか、まったくつまらないから…

murmuring note no.6

現実はイメージである。現実がイメージなのは、現実の土台となる素材に想像力が働いて初めて現…

murmuring note no.7

力を行使することにおいてアートは政治である。ならば政治もアートであり得る。しかし、アートが政治を利用するのはよいが、逆のケース、政治がアートを利用することが多いのではないか? アートを利用する政治は、アートとの間に裂け目があるのでアートではない。アートである/でない政治の見分け方は簡単である。主題の現実が、アートに値するかどうか、である。現実そのものではない。現実を題材として扱うアートが、その題材をアートに仕上げる。そうするには、現実と鋭く対比される理想を提示するか、現実を厳

murmuring note no.8

世界はグローバルではなく、ローカル・ビレッジ化している。アジア(たとえばソウル)もしかり…

murmuring note no.9

20世紀の社会主義は、既存の表現の様式である「再現」に反動的に回帰しために、敗北を余儀なく…

murmuring note no.10

知覚不可能な極小の変化、予想を裏切る物質の脈動。ここから結論されるのは、もっとも物質的な…

murmuring note no.11

想像してみよう。ある事象が究極の非合理、つまり合理的なものは一切ないとする。だが同時に、…

murmuring note no.11.5(新型コロナ騒動のなか、もう一度表現の自由を問う)

この記事は、一か月弱ほど前の日付(正確には3月21日)で下書きに残してあったのですが、現在…

murmuring note no.12(ポストコロナを語るのは時期尚早だが・・・)

新型コロナウイルス危機は、事実上有名無実となっていたポストモダンを強制終了させる。 した…

murmuring note no.13(新型コロナ禍に見る資本主義の限界とその終焉)

資本主義が、現下の新型コロナウイルスが引き起こした社会的危機に対応できないことがはっきりしつつある。感染症の蔓延がもたらす直接的被害を解決できず、間接的な被害を放置して、資本主義のキャパオーバーを招いた新自由主義の政策の敗北である。新自由主義段階の資本主義は、パンデミックの猛威に対して脆弱だったのだ。 すべての社会的活動分野の民営化すなわち利潤追求の資本主義化が、新型コロナの広範囲かつ爆発的な感染の攻撃によって、経済と人命のバランスを取ることを不可能にしたのだ。この二つが両立