ハラにペ第5回「4月9日を待つ間に。」
この記事は2018年当時につけていた記録を元に書いています。なぜこの様な記事を書いているか?は、マガジンの冒頭を読んで頂ければ…と思います。
前回に書いた、専門医に初めて会ってから手術の詳細を詰める為に次に会うまでの間に考えていた事が主です。
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…突然のあっさりした告知だったので、なんだか実感がわかない…。
しかしながら「自分がこの世から去らねばならない日がそう遠くない日に来るのかもしれない…。」そう考えるとなんだかどんよりしてきた…。実際問題まだステージ2な訳だし、専門医は「摘出してしまえば大丈夫」と言っているのだから大袈裟に考え過ぎなのかも知れないけれど、なにせガンだしね...。精神的に不安定になりそうだった…。
そんな時でもカミさんはいつも通りに明るくいてくれて、それに救われた気がした。
なぜかここ数年ネット上の記事で、ガン患者さんが宣告された余命よりも遥かに長く生きているという趣旨のものに目を止める事が多かったのだけれど、その中で共通して感じたのは「生きることへの意思」だった。
病気の事で腐ってネガティブになっていては良くなる病気も悪くなっていってしまう気がした。だからポジティブでいようと決めた。
実際、ガン患者がガンの事を「ギフト」と呼ぶことを耳にしたことがあるのだけれど、それが理解できるように思った。
自分が死への可能性をリアルに身近に感じることによって「生きたい!」という願望のスイッチが入った気がした。
自分自身の内側から力強く湧き上がり始めた「生きる事」への意思や慈しみを感じる事、それが多分「ギフト」なのだろうね。
とはいえ、やはり手術は怖い…。なにせ全開腹手術といえば、お腹を全て開く切腹状態…。開腹され、その皮がめくられ、臓器が取り出されている様子を想像してゾッとした…。
かなり以前に何かの大きな事故で腹部の筋肉の流れを切る方向に手術した方が、「この方向に筋肉を切るのは絶対避けるべき…修復が難しいから…」的な事を言っていたのを今でも覚えている。それを覚えているから余計に怖かった。自分が受ける手術は正にその方向のものだったから…。
手術しないで済まないだろうか?と、いろいろ考えたが仮に良性だったとしても、実際に痛みや血尿の症状が酷いわけだし、放置したら結局苦しい。これ以上の共生は無理。
そして、もし仮に自力で治せるものだったら、そもそもこの大きさにはなってなかっただろう…。結局は手術する以外に無いんだろうな…と思い始めた。
セカンドオピニオンを他の医師に求めようか?とも考えた。他の医師を探すのにも時間がかかるし、そもそも探し当てたその医師が信用できるのか?というのも問題だと思った。結局この問題の根底は「先日診てもらった先生が信用できるのか?」という事だと思いはじめた。
なのでセカンドオピニオンを考える前に、その病院と執刀予定の先生について調べた。
病院については、大統領とかの要人が手術を受けたりするような病院なので、医療レベルは高く信用できるだろうという事、執刀医についてもこの道の第一人者っぽいという事がわかった。
なので逆にこの病院の医師と同じレベルの医師を探す事が難しいだろうと思い始めた…。なのでセカンドオピニオンについては考えなくて良い、と判断した。
病巣を取ると元気になる人が多いという記事を日本の専門医の何かの記事で読んだ。それまで感じていた不調の原因はこれだったのかも…と思い、手術して取り除くこと自体は肯定的になった。
むしろまた以前の様に元気になれるのかと思うと、手術後の生活自体は楽しみになった。
執刀予定の先生が言っていた「摘出後は特別な治療はいらない。しかし長期間に渡る定期的な検診、そして残された腎臓を守る為の日常生活での食事等の多少の注意が必要となる。」という事は、裏を返せば今後起こりうるガン以外も含めた病気の早期発見や、食事による体調管理が自ずとされると言う事に繋がっていくので、逆に良いのではなかろうか?と、思い始めた。
結局、色々調べたり考えた後に残ったのは、病気への不安はもちろんあるものの、それよりもむしろ、大きく開腹する事と臓器を摘出するということで肉体を大きく傷つけてしまう、その事への不安や喪失感だった…。