
赤いきつねのCMについて思うこと
たまには時事ネタでも書こうかな。
ちょっと乗り遅れたかもしれないけど、絶賛炎上中である赤いきつねのCMについてだ。
東洋水産から販売されているカップうどん「マルちゃん赤いきつね」。前身から数えて今年で販売50年になる大ロングセラー商品だ。テレビで流れる「あーかいきつねと緑のたーぬーき♪」というCMソングは誰しも聴いたことがあるだろう。
今回2月6日から放送された赤いきつねの新CMが、一人暮らしらしき若い女性がうどんを啜るアニメーションなのだがこれが性的であるとして炎上している。
このCMについて、皆さんはどう思うでしょうか?
この件について、今日は私見を書いてみようと思う。
僕は炎上してからCMを見たので、果たして本当に性的な表現なのか? それとも一部のフェミニストが騒いでるだけで全然そんな表現はされていないのか? と問題になった点に注視して見た。騒ぎにならず見ていたら全く違う感想を持っていただろう。それはご理解のほどを。
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今回の件がここまで大きな反響を生んだのは、わかりやすい対立構造がいくつも背景にあるからだと思う。性的か、そうではないか。フェミニストvsミソジニー、男vs女、性的搾取か表現の自由か。炎上騒動があると時が進むにつれて双方の意見は過激化していくもので、「バックから突かれて喘いでいるように見える」といった意見や(さすがに全くそうは見えなかった)、料理研究家のリュウジさんを始めとしたインフルエンサーが同じように動画を撮って「これのどこが性的?」というようなアンサーがあったりと、次第に火柱が大きくなっていった。
僕が見た感想を言うと、歯切れが悪くなってしまうが「性的かそうではないかという二元論にはならないな」とまず思った。
性的というならば、まず何を持って性的なのかを明確にしなくてはならないだろう。女性性が少しでも表れていたら性的なのだろうか。その点が曖昧なまま性的だという表現はしたくない。
しかし、若い女性が持つ魅力(これを性的魅力というならその通りだ)を意図的に表現し、若い女性を好む男性の性質に訴えかける演出はしているな、とも感じた。よく言われているように、髪を耳にかける仕草や頬を赤らめた表情、漏れる吐息や何度もアップで描く口元、それらが若い女性以外の属性を持つ人物を対象にしたときに描かれることはなかったはずだ。
(そもそも描かれないが)もし長髪のオジサンが赤いきつねを食べるCMなら、髪を耳にかけるシーンは省かれるし、赤らめた表情や漏れる吐息も描かれていない。別に若い女性特有の仕草ではないにも関わらずだ。
緑のたぬきバージョンは放課後の学校で緑のたぬきを食べる男性教師を描いたアニメーションなのだが、比較すると如実な表現の違いがあるとわかる。マルちゃん赤いきつねというロングセラー商品のアニメーションCMを、プロのアニメーターや演出家たちが若い可愛い女性を描いておいて、視聴者にとってどんなシーンに求心力があるのかを意図していないはずがないのだ。おそらく炎上前から緑のたぬきよりも赤いきつねのアニメーションの方が再生回数は多かったんじゃないだろうか。
なので、炎上の争点が「性的な演出かどうか?」であるならばそれらの演出を性的と指すかどうかはわからないと前置きが必要になるが、若い女性の魅力を引き出す意図的な演出はあっただろうなと思う。
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詳細はわからないが松本人志や中居正広のような大物芸能人が女性問題で自粛や引退に追い込まれている今、性の問題は世間で一番炎上しやすいのではないだろうか。性加害だハニトラだ、男が悪い女が悪いと、性別という全員が属する対立軸の中で激しい賛否両論が巻き起こっている。
今回のCMが炎上することになったのも、性の問題について国民の強い関心が集まっている影響もあるだろう。また、ネット全盛の現代では個人の声明が秒で世界に向けて発信され、意見が過激なら過激なほど広がりやすい。そういった時代背景に後押しされて今回の炎上は起こった。
僕の感想としては若い女性特有の魅力を描く意図的な演出を認めつつも、個人的な嫌悪感が急速に拡散されて企業がノイジーマイノリティに忖度しなくてはならなくなる方がよっぽど怖い。
また、たとえあの演出を性的だと表現するにしても、属性ごとの魅力を強調することは表現において自然なことではないか。1日のほとんどを寝てばかりいて過ごすライオンだって、描画や映像として世に出すなら狩りや咆哮のシーンを載せるじゃないか。チーターは駆けるしオオカミは遠吠えをする。印象的な一瞬を切り抜くのが表現というものだ。表現に限らず、エンタメとはそういうものではないか。
若くて可愛らしい女性を描くなら、多くの男性がイメージする需要に合わせた表現がされることも仕方がないのではないか。
嫌な人がいるのもわかる。いちいち性的な目で見られることを苦しく思う女性は一定数いるだろう。そしてそういった表現を許容する文化的土壌が次世代の女性にも刷り込まれていき、自然と女性性を意識していくのだとも思う。身の回りを見渡す限りだと、子どもは女の子の方が男の子よりもよっぽど早く自身の性別を意識しやすい。ただ多くの子は被害者意識を持っているわけではないし、自然な感情として女性性に目覚めていくように見える。
それらが刷り込みの影響である可能性は否定できないが、それでも苦々しく思っていない子も多いことは忘れてはいけない。無論、大人も同じだ。
僕は男性だが、女性のほとんどは僕と同じく「言われてみれば女性らしさを強調した意図的な演出は感じるが、別に嫌じゃないし騒ぐほどのことではないと思う」という感想に落ち着いて声を上げなかったサイレントマジョリティーではないかと予想する。
月並みになってしまうが私見を言うと、嫌だと感じる人は批判すればいいし食べなければいいと思う。しかし批判の声が実数を遥かに超えて大きな力になりがちなネット社会は怖いなと強く思う。批判を受けて企業や発信者が日和って対応せざるを得なくなる社会が健全だとは思えないからだ。
とはいえ批判する人を(悪い意味での)フェミニストだとレッテル張りして断罪しようとする側にもつきたくはない。意図的な演出は一切なくフェミニストの思い込みに過ぎないと判断するのは感性が鈍すぎるし、批判している個人の容姿を貶めて印象操作するなんて論外だ。
それよりも僕は、どちらかに偏った過激な意見を言う人ほど支持を集めてしまう短絡的な風潮が社会に広まっていく現状を危惧している。この件は二元論では片付けられないジェンダー問題や表現の自由を孕んでいる。感情的になって対立せず、ノイジーマイノリティに扇動されずに各々がじっくりと考えて静かに自分の指針を決めるくらいがちょうどいいのではないだろうか。
まあみんな、赤いきつねでも食べて落ち着けよ。

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