再生 4話
書いた遺書は自宅の机の中の、鍵のかかった引き出しの中にしまっておいた。
読まれること、それはすなわち自分が逮捕された時だということを草介は理解していた。
それは自分の人生の終わりを意味しているのだと悟った。
草介は布団にくるまり嗚咽しながら泣き続けた。
頭の中で親しい人の顔が浮かんでは消えた。もう会えないのだと思うとたまらなく悲しくなった。何気ない毎日がこんなにも大切なんだと思い知らされた。
友人たちと連絡を取ろうかとも思ったが、普段と違う不審な様子を怪しまれて逮捕に繋がる可能性が高くなることを恐れて躊躇った。
「死にたくない……」
「捕まりたくない。まだやりたいことだって沢山あるんだ」
独り言のように布団の中で口に出して、草介は自分には死ぬ覚悟も捕まる自覚も全然足りていなかったことをはっきりと感じた。
自分が考えていたことはガキの理想論でしかなくて、誰も害虫駆除なんかせずに多少の害は受け入れて過ごしているのだろうか。見て見ぬ振りも社会では必要なことなのだろうか。
自分だけが愚かで、バカな奴が一人バカなせいで死ぬことになる。これも社会にとっては害虫駆除なのだろうか。
草介は自分のしたことが急に愚かでちっぽけなことに思えてきた。そして激しく後悔しだした。
あんな、あんなつまらないゴミ一匹殺すことを人生の使命みたいなものだと勝手に感じて、それで助けたのはガリガリのブスな女一人。あんな女、好きでもなんでもない。
だからみんなほっといているんじゃないか。あんなのと関わっても時間の無駄だってみんな知ってたんだ。
クソ! なにが俺にこうさせた。害虫の一匹くらいいてもいなくてもどうってことない。俺の周りを飛んでるわけでもないんだから無視すればよかったんだ。なんでそんなことのために、俺は捕まって死ななきゃならないんだ。
国枝良子なんかどうでもいい。あんな大人になっても社会の役に立たないような女のために俺が人生を賭ける必要がどこにあった?
殺人なんて真似をするくらいなら、自分が大人になって立派な仕事をして社会に還元していけばよかったんだ。なにもゴミ一匹殺して自分も死ぬことになる必要なんてなかったじゃないか。
草介の後悔の念は延々と続いた。
あれほど、自分と無関係なことに人生を賭けて正義を行うという、その点にこそ強い価値を抱いていたのに、今はそれがあまりにバカげたことに思えていた。
不意に引き出しを開けて遺書を取り出した。
(こんなもの破り捨ててしまおうか)
そう思って少し手に力を入れてみたが、遺書を破り捨てたところで事態はなにも変わらないことに気づいて辞めた。
「どうすりゃいいんだよ!」
つい声を荒げる。
「俺は純粋すぎたんだ」
「みんなコウモリのように口八丁で生きてやがって、俺はそれができなかったんだ」
「正義なんて持つ必要もなかったんだ。みんな卑怯に生きているんだから、誰のために義憤に駆られる必要もない。ハエがたかるのは所詮クソなんだ。そんなクソどものために俺が犠牲になる必要なんてどこにもなかったんだ……」
草介は泣き続けながら、布団の中で自分と対話を重ねていた。
***
事件の報道からすでに三日が経つ。
警察が自宅にいつ来てもおかしくはない。普段通りを装うために学校に通っていたが、それも精神が限界を迎えた。
ドアが開く音がたまらなく怖い。父親が仕事から帰ってくる時間がいつもと少しでもズレていると、ドアが開く音で警察が来たんじゃないかと思い恐怖に震えた。それからというもの、夜になれば何時間でも父親が家に帰ってくるまで窓の外を見てドアを開けるのが父親であることを確認しないと安心できなかった。
母親も息子の様子に心配していた。
自室のドア越しに母親の声が聞こえる。
「草介、どうしたの? 病院行って診てもらった方がいいよ」
「大丈夫。時期に治ると思うから。少しほっといてよ」
「そう。学校には連絡しておいたから、じゃあ自分のペースでいいから落ち着くまでゆっくりしてなね」
ありがたい母親の言葉も、今は草介の良心を突き刺した。
(ごめんお母さん…… 俺が人を殺したと知ったらショックで自殺するかもしれないな)
涙が止まらなかった。自責の念がどんどんと湧いてきた。たった一人の母親さえも、つまらない正義のつもりでしたことで傷つけることになるんだと今わかった。
(俺は自分に酔っていたんだ。なんて愚かで弱いんだ)
時にはうんざりとしていた母親の無償の愛情が今は恋しい。この愛情を裏切って二度と与えてもらえなくなることがたまらなく哀しかった。
(きっとお母さんが俺のことを追求しないのは、クラスメイトの父親が殺された事件にショックを受けてるからだと思っているんだろう。でもあれさ、やったのは俺なんだよ…… )
(ごめん。ごめんなさい。ずっと愛してくれたのに、ごめんなさい。ごめんなさい…… )
草介は心の中で何度も何度も謝った。
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