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教会に所属せずにクリスチャンになる方法-4

さて今回は、私たちが教会という宗教組織に所属するのではなく、「教会」としてコミュニティを構築していくことについてお話していきたいと思います。

すでにある組織に、しかも宗教的な組織に入会するのはハードルが高いと思う人も多いことでしょう。実際に教会に通ってみたけれど、自分には合わなかったという方たちもいると思います。

そのようなシステムは、西洋の文化に合わせて作り上げられていったものなので、自分の肌には合わないと思う人がいるのも無理のない話なのです。

一方で、それが好きという方たちもいると思います。僕自身は宗教組織としての教会と、そうではない「教会」どちらにも関わっていますので、どちらの良い所も悪い所も知っていると思っています。

1.集まること

キリストを中心として集まるなら、それが「教会」です。

集まるのは家族単位でも構いませんし、たくさんで集まるのでなくても、2~3人で集まればいいのです。むしろ、少ない人数の方が都合をつけ易いし、集まる場所も見つけやすいでしょう。

聖書にはこのように書かれています。

「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイの福音書 18:20)

新改訳聖書2017

この言葉は、心を一つにして祈ることについて話している部分ですが、同時に教会の本質でもあります。

「教会に集まるのは日曜日」という印象があるかもしれませんが、別に何曜日でも構いません。これについては色んな考え方もあるでしょうが、集まれないより、集まれる時に集まった方がいいのです。

集まるのは、毎週がお勧めですが、月2回でもいいかもしれません。僕自身の経験上、月1回ではちょっと少な過ぎるかなぁというのが実際のところです。

集まるメンバーは固定である必要はありませんが、なるべく同じ顔ぶれで集まった方がいいと思います。お互いにより深く知りあうことできるからです。マンネリ化してしまうようなら、ある程度のところで別の集まりを作ってみてもいいかもしれません。

2.キリスト中心

いつ集まろうと、どこに集まろうと、それが「キリストが中心となった集まり」なのでなければ、それは単なる集まりであって、「教会」とは呼べません。「教会」とは、キリストを中心とした集まりなのです。

ところが、キリストの名のもとに集まっていても、なかなかキリストが中心とならず、キリストに繋がる人たちの単なる集まりになってしまいがちでもあります。

キリストを中心とするためには、祈り、賛美し、聖書を読む集まりにすることです。それ以外のことをつけ足すのは構いませんが、他のことに夢中になると、私たちは簡単にキリストの中心性を失ってしまいます。

祈り

お互いのことを話し合うとき、必ずそれを祈りで締めくくりましょう。ついつい、お互いの悩み相談をしてしまい、神さまが不在になってしまうことも珍しくはありません。

祈る中で、示されたことを分かち合ったり、相手を助けるために動くこともあるでしょうが、解決を神さまに求めるのが、私たちのあるべき基本姿勢です。

賛美

賛美は、必ずしも歌うこととは限りません。逆に、上手に、かっこよく歌うことに夢中になって、神さまを不在にしてしまうこともあります。歌うなら、それは神さまに向かって歌っているべきだし、歌わなくても言葉や行動で神さまを賛美することができます。

集まる場所によっては歌うこともできないかもしれませんが、そんな時はお互いに神さまを証して、褒めたたえましょう。それが賛美です。

証に関しては、また別の機会にもう少し詳しくお話します。

聖書

聖書を読んで、分かち合います。決めた箇所をその場で一緒に読んで分かち合っても構いませんし、それぞれが1週間読み進めたことを分かち合うという方法もあります。

これについては、改めて詳しく話す必要がありますが、大切なのは「聖書箇所を通して神さまに示されたことを分かち合う」ということです。

お勧めしないのは、誰かが一方的に教えるだけ、あるいは説教の動画を一緒に観て終わりというやり方です。聞いているだけの人がでてきてしまうからです。互いに積極的に関わり、学び合う関係を築くようにしましょう。

3.食事をともにする

これをリストに挙げることを意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも実は、クリスチャンの集まりにとって、一緒にご飯を食べることはとても大切なことなのです。

日本語でも「同じ釜の飯を食う」という言い回しがありますが、一緒にごはんを食べることは関係性を深めることです。

新約聖書の中でも、意外と多くの場面でイエスさまが人々と食事をするシーンが出てきます。それは、イエスさまが食事をともにするということを本当に大切にしていたからです。

教会では聖餐式(主の晩餐)というものが行われ、そこでパンとぶどう酒(ぶどうジュース)が分け合われます。イエスさまが聖餐について教えたのは、過ぎ越しの祭りのときでした。これは伝統的に、家族の食事の場で祝われるお祭りです。

キリストの体を象徴する一つのパンを分け、キリストの血を象徴するぶどう酒を一つのボトルから注いで分け合うことには大きな意味があります。私たちは一つの体であり、一人の方の血によって赦された者同士だということを、互いに確認することです。

聖餐のポイントとして一番重要なのは、私たち教会が一体となるということなのです。

多くの教会では、これを単なる儀式のように扱ってしまっているのは残念なことです。

積極的に食事をともにしましょう。おいしいものを食べ、お互いのことを話し合いましょう。そして、食事のたびに、パンを裂き、ぶどう酒を分け合う体験をしてください。新約時代の教会は、まさにそんな集まりでした。

オンラインで一番困難を感じるのはこの部分ですが、せめて一緒に談話する時間を持てると良いのではないかと思います。食事をともにするほどの効果はありませんが、互いの関係を深めるには大切な事だからです。

もちろん、談話することがメインになってしまうとキリストの中心性を失ってしまうので、注意は必要ですが…(笑)。

教会に所属せずにクリスチャンになる方法-5

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