グローバリゼーションとマルクス
『フラット化する世界』、トーマス フリードマン 、日本経済新聞出版社。
この本はサブプライムバブル真っ只中で書かれ、その好景気を背景にお金が世界中に周り始め経済のグローバル化が身近に―アマゾン、Google、Youtubeが生活に入り込むーなり、あたかも将来はバラ色のように見えた一時期の雰囲気を見事に描き切っていると同時に、現在2018年に読み直してみると、グローバル化の冷徹な原理的部分が余すところなく描写されており、賛否を超え、時代を理解するにはいい参考書なのかもしれない、と思いここにその感想を述べよう。
作者はニューヨーク・タイムズの記者で「頭はいい人」ですが、学者的トレーニングを受けた人ではないためか、抽象的概念に現実を当てはめていくのではなく、偏見がなく貪欲にグローバリゼーションの最前線のインドの地方などに取材に行って、それを丁寧に素直な文体で描いてます。
僕が気に入ったのはグローバリゼーションによって圧迫され危機にさらされている人びとが隠蔽されることなく忌憚なく描かれていることです。しかも特筆すべきは職業を失う危機にさらされている人たちの内には低賃金労働者だけではなく、黒沢清の秀作『トウキョウソナタ』の中のサラリーマン香川照之が中国の安価な労働者のためクビになるように、ホワイトカラーだが凡庸な仕事をしている人びとも入っていることです。図らずもそのことによってグローバリゼーション礼賛の論調で書かれている本が、結果的にグローバリゼーションの矛盾点も正確に描いてしまい、逆にこの本で描かれていることが今進行している世界の真実なのでは、と思えてしまうのです。
ではそこで描かれている真実とは何か?それは資本主義経済とは畢竟、価値の差を利用して利潤を追求することでしかない、ということです(いわゆるマルクスのG-W-G'ってやつ)。経済が繫栄すれば、資本を有していないものもその繁栄の恩恵を被って豊かになるはずだから、経済活動の利潤追求は資本を有する人たちだけではなくすべての人を豊かにする、と言って、
資本主義を擁護する人がいますが、これはウソとは言いませんが、必ずしも自動的に引き出される結論ではない、ということが描かれています。
またこの本は資本主義に必要な技術革新の限界も見ています。つまり技術・ノウハウというのは遅かれ早かれ陳腐化し、誰によっても行うことが可能になり、したがって、労働力の価格が低い人々にその仕事がまわり、もしあなたが先進国に住んでいて陳腐化した仕事しかできず、付加価値が生めない平凡な労働者ならば高賃金のため雇われなくなり、市場から退場せざるを無いということが起きてしまいます。
通常、欺瞞的なグローバリゼーション礼賛者は、市場から退場せざるを得ない人たちは(多少の時間のズレはあるが)別のセクターに移ることが出来、そこでもっと高価値を生むことが出来る、そして経済全体としては結果的に陳腐化した経済活動をする安価な人々が市場に参入でき、さらにそれまでこの陳腐化した経済活動をしていた人々は別の市場に移ることによって新たな付加価値を生むことが出来、全てが豊かになる、とウソをつきます。
フリードマンはそんなことはなく、[世界の]changeは必然なのだといささか悟ったことを言い放ち、そのchangeによって市場から駆逐された労働者がどうすべきか、という処方箋はもちろん書いていません。だがそれより着目すべきはグローバル化が不可避でしかもその可能性を肯定的に書きながらも薄っぺらいグローバリゼーション賛成者のように全員が豊かになるという欺瞞的なバラ色の世界像を提示せず、資本主義の冷酷な真実を見つめているところです。如何にもManifest Destiny(明白なる使命)という大言壮語の下、西部を開拓していったアメリカ人の末裔らしくこのchangeを引き受け未来へ自分を投企しなければいけない、といった楽観的行動主義がほほえましく見えますが。
僕らが経験した第二次世界大戦後の40年間の「国民経済」は国民全員が豊かになるものでした。富裕層の所得が10%で伸びても、それより低い所得層もそれと同じ程度に所得が上がりました。それはなぜなのか?
戦後経済は集団的な労働力を必要とし、したがって、資本を有するものとそうでない者との間の分断は経済運営に不安定性をもたらし、結果的に生産性を下げる要素であったため、資本を有する者は欲深さを表に出さず、使用人の労働者にも分け前を与える戦略を取り、結果的に国民全体が潤う高度成長を遂げることが出来ました。
つまりその当時の資本家、経営者が人道的にふるまっていたのはそれは資本の論理が効率的に動くからであって、彼らが人道的であったわけではありません。
したがって、日本を含めた先進国が技術革新により生む価値よりそれを生む労働力の価値(費用)が高くなり、採算が合わなくなった昨今は、それらの国は「国民」を手放し、安価な労働力が手に入る発展途上国を生産地とし、消費の場所である先進国との価値の差(労働力の価格の差)を搾取しているのが現在であり、それをこの本は豊かな例と楽天的な文体で残酷に描き切っているのです。
ちなみに―フリードマンは言っていませんが―このグローバリゼーションの波から落ちこぼれた人びとは、現在の「小さい政府」では経済的に救済することが出来ないため、国家は経済的救済は破棄し絵に描いた餅のような国家主義的、人種差別的スローガンを与え(安倍さんの憲法改正の計画、トランプのmake America great againなど)、貧困にさらされた人々の断片化された生への不安や不満を国家やそれを支える富裕層からそらしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?