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【アナタをラクにする方法】”ヒトではなく「コト」にまっすぐ向き合う”最近ボクが変わったこと(変えたこと)

大型連休だからといって、特にやりたいこともなく。
行きたいところもなく。

そもそも旅行や何かの計画をプライベートで立てるタイプでもないので、なんとなくオフィスに足を運びました。

なぁんかPCに向かったとたん、note書きたくなったので、第一象限をあえて後回しにしてこのnoteを書くことにしました。

「すみません」「ごめんなさい」を言わなくなった僕

この4月、僕の中でクリティカルに変わった(変えた)ことがあります。
それは安易な謝罪を辞めることです。

「正しさ」と「正しさ」の戦争が日々行われているこの世の中

前々からわかっていはいたんですけど、だんだん嫌気がさしてきたんです。

「正しさ」と「正しさ」の戦争に

人それぞれが持つ正義、そして他人が持つ正義。
そこのぶつかり合い、張り合い......

あるとき、そのぶつかり合い/張り合いに負けた証が
「すみません」「ごめんなさい」
という言葉だとしたら、マジいやだな、と思いました。

そこから安易にすみません、ごめんなさいという安易な謝罪の言葉を言わなくなりました。
というか、言いたくもないことを言わなくてもいいのに、敢えて言うのはナンセンスだし。
この世にはいろんな言葉があって、その言葉が組み合わさった表現が無数にあるのに、正しさと正しさの戦争に負けたからといって、安易に、
「すみません」「ごめんなさい」
にランディングするのはなんやねん、と思ったんです。

ヒトに向かわずコトに向かう

経営やマネジメントの部分では、もしかしたらもてはやされている概念かもしれませんね。

この
「ヒトに向かわずコトに向かう」
という言葉。

最近クリティカルヒットで僕に刺さってます。
というか、これからも抜けないと思います。

相手が怒る=自分が悪いということでもない

だいたいの人が、
「ごめんなさい」
と言いたくなるのは、人が怒っている場面。

どうですか?
ごめんなさい、すみませんでした
と言いたくなりませんか?

でも、それは正直とても浅はかだと思います。

怒るという現象を分解すると
「自分が”こうだ”と思っていたことに対して、相手が”そうじゃない”とアンサーしてきて、その相手のアンサーを受け入れたくない状況になって、どうしようもなくアウトプットされた感情の顕現」
になります。

だから仮に相手が怒っていたとしても、あなたは悪いとは限らない。

そもそも正しい/悪いを、人間同士で言い合っているのがナンセンスなんだ

これが僕の基本スタンスです。

それこそぼくは正しさと正しさの戦争をココロからしたくない、と思っている人でして。

「わたしが正しいと認めて!」
と言いたいか?という話しです。

その認めてほし子ちゃんは、僕からすると、その”正しさ”に苦しめられているように見えるけど。

だからこその”ヒトに向かわずコトに向かう””罪を憎んで人を憎まず”

という感じです。

ヒトを非難するのではなくて、コトに向かい認識のすり合わせをして、次へのアクションを握っていく。
そもそもコミュニケーションってそのために存在しますよね、という話し。

そして”罪を憎んで人を憎まず”

ぜったいヒトを憎んではいけない。
難癖つけて人を憎むことを”傲慢”というが、そうありたいのか?という話しで。

傲慢でいたい人もいるかもしれませんけど、そうしている暇があるのであれば、自分のハッピーを考えようよ、と。

ラクでなければこんなnote書けなかったかもしれない

以上、あなたをラクにする方法でした。


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