『愛は恋より勝手』の意味とは-川谷絵音が”アオミ“で伝えたかったこととは-
“最後の最後に好きになったんだ
Uh-ah-ah
愛は恋より勝手だって
その時に悟ったんだ”
ゲスの極み乙女。『アオミ』の大好きな歌詞
ゲスの極み乙女。というバンドは12月にこの曲を大切にしてました。
馳せ合いという絵音さんの誕生日のライブで披露(本編最後の曲)
そして、COUNTDOWN JAPANという大きなフェス。いつもならキラーボールを踊って終わるところでしたが、この日は違いました
最後にしっとりした雰囲気で幕張ワンマンの告知をし、『アオミ』で2021年最後のライブを締めくくりました。
この曲は最後に「泣いたんだ」という歌詞を繰り返して終わったのち、キーボードのちゃんまり以外のメンバーが先に舞台を降ります。最後にキーボードでクラシックコンサートを想起させるメロディーで静かに終わります。この曲は特にゲスの極み乙女。の世界観をあまりにも鮮やかに表現しているなぁと思うので大好きです。
そこでこの曲の中で1番大好きなフレーズの『愛は恋より勝手』というところの話をしたいです。
川谷絵音さんといえば、ほかにもindigo la Endというバンドも兼任しています(ほかにもいっぱい)
indigo la Endの『華にブルー』という曲では、『燃えた後が愛なんだ 消えたらつければいいんだ』という歌詞があります
燃えるような感情が恋ならば、燃えた後のどこか安定した感情が愛なのかなとも思います
「好きになった当初の燃えるようなものはなくても、隣にいたい」って感じるのが愛なのかなと。
愛は恋より勝手なんですよね。恋は片想いとかもありますし、「新しい恋を探す」って言葉はあっても、「新しい愛を探す」って言葉はないじゃないですか。
一度生まれた愛は意外と刻まれちゃうのかな
ちょっと理屈的な話もすると、恋が燃え上がるのはPEA(フェニルチルアミン)という脳内物質の分泌が理由とのこと。PEAの分泌はだんだん減少し3年以内になくなると言われてます。だからもっと長く一緒にいたい時は、3年目に突入する前に「深い信頼関係」を築く必要がある。そうすることで別名幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンがたくさん分泌され、燃えるような感情がなくても穏やかで家族に対するような愛情を持てるようになる。
この曲の歌詞をゆっくり考えます
“ほんの少し先が見えてしまったんだ
優しさを躊躇った顔が写った
誰かが見たらそれは慈愛かのように
収まったその一枚は美しい
ラムネのビー玉みたい
閉じ込められてるから美しい”
という歌詞からこの曲は始まります。
「美しい」という言葉を繰り返すんですよね
“出そうとしたら割れるから
どんな感じで愛せばよかった?
貴重な記録も怖いと嫌うけど
写真くらい取らせてよ、ツーショット
記憶が形になってわかった
やっぱり怖かった”
ラムネのビー玉を繊細さ、もろさの比喩で使い、「もっと丁寧に愛していけばよかった」というような後悔も垣間見えます。
「写真くらいとらせてよ、ツーショット」というフレーズの直後に「記憶が形になってわかった やっぱり怖かった」というフレーズがきます。いつかは終わりがくる、そんな終わりを迎えた時形に残ったものは記憶を忘れる時に妨げてくるんですよね
“気持ちが残した愛しさは
君に限っては消えないと思ってた
ガラスの向こうに問いかける
追いかける
いつまで”
「君に限っては消えない」これまでの人は消せていたのに。
“泣けども泣けども
恋は散ってった
拾った葉の裏側にあった見たことない表情
表だけで恋なんてしないようにだって
遅すぎた戒めが今日も上った
心で吸い込むまでもうちょっとさ”
泣いても無駄だったんだなぁって、表だけ見て恋した自分、でも裏には知らない顔があった、その顔を知っていればこの恋は始めずに済んだのかもしれない。「遅すぎた戒め」
”歪さは常にあって油断したら
壊れてしまう気配は知っていた
でも身体を重ねる度
危機感は安心に変わっていった“
→最初は壊れたらどうしようという怖さがあったけれど、慣れてしまううちに大切な感覚も消えてしまった。幸せは慣れたときに少し乱雑に扱ってしまう。
”黄昏が近付いてくる音の響き方は
今も忘れない
それは一音にも満たなそうな小さな音
不協和音みたいな倍音だけは永遠に続く気がした“
黄昏が近づく。黄昏は「盛りを過ぎ、勢いが衰えるころ」の比喩か。勢いが衰えていく音、恋が終わる、恋が愛に変わっていくそんな感覚、小さな音も意識ができていた。今も忘れてないのだから。「不協和音」みたいな倍音。愛は恋以上に脆いのかもしれない。でも燃えた後でももう一回火を付け直せる。でも消えたまま終わってしまうこともあるじゃないですか。
”あなたは季節に跨る用心棒
そんなリリックを書いた夏の終わり
パタリと閉じた僕らの夏も
いち早く秋に向かっていった
さよならは怖くない
何回も綴ったのに
どうしようもなく好きだって
アオミ“
パタリと閉じた僕らの夏。ここでindigo la Endの『夜風とハヤブサ』を想起する。『夏の数だけ恋があるなんて許せない』
次の夏にその恋はなかった。あるとしても新しい恋、そんな儚さを夏は持っている。自分は失いたくなかった恋だったのに、あの人からしてみれば夏の数だけある恋のうちの一つに過ぎなかった。
さよならは怖くないなんて何回も綴ったのに、いざ目の前からいなくなるとどうしても好きだってことに気づく。でももう遅かった。「どんな感じで愛せばよかった?」
泣けども泣けども
恋は散ってった
拾った葉の裏側にあった見たことない表情
表だけで恋なんてしないようにだって
遅すぎた戒めが今日も上った
心で吸い込むまでもうちょっとさ
→恋が”散る“ 夏が終わり秋になって、冬に向かう時には紅葉が散っていく。拾った葉、後になってから気づけなかった側面。もっと早く気付かなきゃいけなかった。
”これからまた素敵な人に出会って
忘れてしまうんだと思う
でもこの歌は覚えてる
歌うたび勝手に思い出すよ“
→自分にとっても数ある恋の1つにすぎなかった。でもやっぱりあなた以上に好きになれる人はいないんだと思う。
最後の最後に
好きになったんだ
愛は恋より勝手だってその時に悟ったんだ
葉が落ちる前の隙を見逃した
そんな一瞬が美しいと
悲しい目をして粋に泣いたんだ
→たくさんの恋愛をしてきたけど、こんなにも好きになれる人はもう出会えない。だから切り替えきれない。だから思い出してしまう。ただの恋で終わればよかったのに、燃えるような感情がなくなって、当たり前の存在になって、いざ失ったときに気付いた。もう切り替えれないくらい当たり前になってしまった、恋が散る=愛に変わっていく前の瞬間に気づけなかった、当たり前だと関係に甘えていた。その一瞬に気づけなかったが、その一瞬すらも愛らしくて美しかったのかもしれない。そんなふうに今日も思い出して涙を流す。でもその涙すらどこか愛らしくて粋に見えてしまう。
恋で終わればよかった、そもそも恋を簡単に始めなければよかった。もう完全に忘れるのは難しい、
愛は恋より勝手。