#0771 「遊びの三間」を取り戻す—現代社会におけるプレーパークの可能性ー
某資格の受講に当たって小論文の提出があった。
色々あってw、突貫提出した小論文。
なんかせっかくなのでそれをそのまんま貼り付ける回w
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タイトル
「遊びの三間」を取り戻す—現代社会におけるプレーパークの可能性ー
本文(1000~1500字程度):
「現代社会は『遊びの三間』が無くなっている」と言われて久しい。
私が子どもの頃の記憶として強烈に残っているもの―近所の子と釣ったザリガニ。初めて触ったカエルの卵の感触。目の前を横切った大きな蛇に対する恐怖心。飛び越えられなかった小川。虫かごいっぱいに捕まえたセミ。急に暗くなって不安に駆られ急いで帰宅したあの日―
当時はそこに確かにあった『遊びの三間』。放課後、暗くなるまでずっと自由でいられた時間。家の裏や近所にあった畑や農道、小川、神社。携帯電話などなくともそこにいれば居るいつもの仲間。
都市化・少子化などによって『遊びの三間』が無くなり、子どもたちが自由にのびのびと遊び育つ環境に大きな課題を抱えている現代。
私はその課題を解決し得るものがプレーパーク(冒険遊び場)だと考えている。
遊びの三間とは『時間・空間・仲間』のことを指す。この三つの要素は遊ぶということにおいて、重要な要素であり、この三つが揃っている状態で遊ぶ中で子どもは自らの力で育っていく。
時間―本来、子どもは自分で自分の時間を自由に使う権利を有しているはずである(子どもの権利条約31条「休み・遊ぶ権利」)。ところが、現代の子どもたちは塾、習い事、宿題と多忙な日常に追われ、休み・遊ぶ時間が削られてしまうことがある。
空間―現代の都市化や住宅事情の変化に伴い、子どもたちが自由に身体を動かしたり、五感を働かせられるような自然環境が少なく、遊び込めるような場所がなくなってしまっている。
仲間―一人では出来ないことも仲間と一緒に行うことで、達成できるといった経験や、集団遊びならではの遊びを経験すること、人との関わりがあるからこそ生まれるトラブル。それらを通して、時に身体で、時に言語で仲間とコミュニケーションをとる能力や協調性を養い、遊びを通して仲間と共に育っていく機会がなくなっている。
以上のように、遊びの三間は、子どもたちが遊び育つ上で大切な要素であるにも関わらず、現代ではそれらが失われてしまっている。
ここに危機感を感じて始まった取組みがプレーパークである。プレーパークはヨーロッパが発祥で、冒険遊び場とも呼ばれ、1970年代に日本で最初の羽根木プレーパークが出来て以来、日本全国に広がりを見せている。
従来の公園とは違い、基本的には禁止事項を設けずに、子どもたちが「やってみたい」と思うことを存分にやることができる屋外の遊び場である。いつ来ても、いつ帰っても良い時間の中で、火・水・木・土といった自然豊かな屋外環境で、乳児から高齢者、プレーワーカー(遊びをコーディネートする専門スタッフ)までたくさんの人が交流する場である。子どもたちはそこで思いっきり身体を動かし、泥に塗れ、仲間と協力し、喧嘩し、地域の大人の温かな眼差しに見守られながら、遊び育っていく。
実際に私が立ち上げた団体で一日プレーパーク体験という事業を始めて2年を終えたが、夢中になって丸々一日遊び回る子どもの姿があり、「今までで一番楽しかった」という声や「こんなにも良い顔で遊ぶんですねうちの子」といった親の声を聞くこともある。
プレーパークという「遊びの三間」を保障できる環境が広がれば、子どもたちは今よりもっと自由に、遊び育っていくことができるだろう。それは「遊びの価値」が認められ、子どもの権利が尊重される社会―すなわち全ての子どもがありのままのびのびと生きることのできる社会―の実現に繋がると考えている。故に私はプレーパークをつくり、子どもたちに遊びの三間を取り戻したいと思う。
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それでは今日も遊びあふれる一日を✨
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