祖母の残した戦争体験を記録した手記 「ある母の道」#18
二十年九月十七日台風がやって来た。
午後二時ごろ、雨が強く、ゴウゴウと吠える様に風が吹く。二人の子供は恐しい恐しいと一枚の布団に二人が入り恐がっている。
玄関の戸の一枚は釘付にし、他の一枚をがたがたいわして明けしめしている様な古い家だが、西側は土壁に焼杉の板張りなので心配はない。六畳の間の南に面した一間半の窓には長い一枚の板を横に、四枚をたてに釘付けとした。暗くなるにつれ、風は酷く、雨はしだいしだいに潡しくなる。幸枝と二人で玄関の戸を一生懸命支えるのだが風雨が強く吹き付けると、戸は内側にずるずると押しかえされる。雨は戸の透き間より流れ込み、セメントが張ってない土間は水びたしとなり、足元はズルズルする。
女の力の頼りないことよ。こんな時こそ男の力が必要だとつくづく感じる。
突然、風雨がぴたりと止んだ。そーっと戸を開けると、明るい美しい光景が目に入ってきた。空は晴れ月は煌煌と照り、星は輝きすばらしくきれいだ。
だが雲足は早い。これが台風の目なのだろうか、子供は喜び外にとびだし走り廻っている。小屋のウサギも飛び出した。
しばらくすると、月は隠れ、雲行きがあやしくなってきた。風も出た。雨が降り始めた。又風雨が酷くなる。その内外でざばざばと水の音がする。はて、何の水音だろう・••••••
その時、表の道を「沖の土手が切れたぞー」大声で叫びながら走って行く人がいた。
「アッ」土間に水が入って来た。見る見る水位が上る。それでも戸の手ははなせないしっかり二人で支えている。恵子と栄子は蒲団をたたみ机の上に上げ押入れの下に有る物を、上の段に上げ、水にぬらすまいとやっている健気である。
畳が濡れると明日から困ると心配したがその内、風雨も治まり、水も畳まで上らず、気づかいする程の事も無く助かった。
この台風は枕崎台風といわれ、大変な被害を出した台風であったと云う。
新しい年を迎え、一月から又、山パルに務め始めた。戦争中にしておった仕事ではなく、平和産業とでもいいますか、石けんを作り出した。会社名もミヨシ化学といった。
戦時中椰子から油を取っていた。絞り取った油は水泳プール程の大きなものに入れていたのを、戦争が終って石けんを作る事になったわけである。