ironman コペンハーゲン プロローグ
6月のアイアンマン・フィリピンが終わった後、僕はホテルのベッドで絶望感に打ちひしがれていた。
本来はこのレースで世界選手権(コナ)の切符を獲得するつもりだった。そして8月のアイアンマン・コペンハーゲンはただの思い出レースとして出るつもりだった。
しかし、フィリピンのレースは当日の謎の絶不調(おそらく水中毒)で大失敗に終わってしまった。そしてコナの切符を逃してしまった。
この時もうコナへの道は終わったと思っていた。
なぜならコペンハーゲンのレースは世界屈指のハイレベルなレースでフィリピンと比べようがない。
『コペンハーゲンでコナの切符を獲得できる訳がない』
そう思っていたが、去年のリザルトを見てみると、もし自分が最高のレースをしたら可能性は1%ぐらいはあるんじゃないかと思った。
0%じゃないなら、諦める理由はない。
そのぐらいコナへの強い想いがまだあった。
すぐに気持ちを切り替えて、フィリピンのレースの翌日から、コペンハーゲンに向けて動き出した。徹底的にコースを研究して、自分ならどんなタイムが出るかを想定した。
そして筋肉痛が回復してきたら、すぐにトレーニングを再開した。まだまだ魂は燃えていた。
しかしそれとは裏腹に、とんでもない絶不調に陥っていた。身体が全く動かない。
パワーは出ないし、すぐに呼吸が乱れる。
オーバートレーニングかと思って休んでも全然回復しない。血液検査をしても原因は分からったが、鍼灸整骨院の先生に自律神経失調症になのではないかと言われた。
どうやら僕は全く暑さに対応できない身体になってるみたいだった。原因は分からないが体温調節が上手くいかず、暑い環境ではパフォーマンスがガタ落ちする。その証拠に、冷房の効いた部屋ではいつも通り走れた。
そして1カ月後に行われた皆生トライアスロン(自分はリレーの部のバイクパートに出場) では、この日は雨で寒いレースだったので過去の最高のパワーが出ていた。そして見事に優勝も出来た。
暑さは無理だが、コペンハーゲンは8月でも20度ぐらいだから、この調子でもなんとかなるのではと希望が湧いた。
そしてコペンハーゲンまで、ひたすらトレーニングした。どんな結果になろうと、悔いが残らないように人生に1番トレーニングした2カ月だった。
そしていよいよ出国の日を迎えた。