カールマルクスー疎外論②

 私たちが住む日本は、資本主義(自由)社会である。そこではあらゆる自然物や人工的な種類のものが売買の対象となり、商品目的化としてある。マルクスの言うように労働者としての人間(人類)もそこでは売買目的の手段化、つまり商品=労動力としてあるのです。
「労働者はその作り出す商品が多くなるほど、自分は安い商品になる。物の価値増大に対して、人間(労働者)の価値低落は大きくなる。」とマルクスは言う。これは現在においても正しいだろうか、事実真理だろうか。
私はある面では正しいが、しかし他の面などでは正しくないと考えます.  三つの視点で見てみましょう。
①、資本主義経済(物質)視点から、
労働者が生産するのはすべて物質(商品)である。「彼の作り出す商品が多くなるほど」とは、年月が経るほど彼は熟練職人になり、自分の作り出した商品が高級になり、高く売れることになることである。だからこの場合、労働者=熟練職人の価値が下がることはなく、マルクスの言う、人間(労働者)=安い商品にはならないだろう。価値の高い、引く手あまたの人間になるだろう。
②、自然生命欲求で見てみましょう。
 マルクスの視野は、殆どの私たちのような小市民的、金集めが趣味のようなせせこましさではなく、広大で普遍世界的な視野の持ち主なのかもしれない。
例えば鮭(魚)の自然生命欲求で見ると、誕生、幼少、終末期は狭い小川で過ごし、成長、成人期には広大な大海洋、太平洋で過ごす。
彼のは、言うまでもなく、後者の広大な大海洋の類に属するだろう。
 さてマルクスの言う「疎外」とは、自然生命欲求からするとどの辺に位置しているだろうか。
「疎外」とは、何らかの欲望が満たされない状態にあるだろう。
自然生命欲求には、方向の異なる二種類、三つがある。一つは、他種破壊を目的とする個体欲動、二つ目は、同種結合を目的とする種の欲動がある。そして三つ目に個体欲動と種の欲動を併せ持つ個体種欲動がある。これら三つは、宇宙三次元空間、すなわち太陽系、銀河系、宇宙系に対応しているものと思われる。
マルクスの視野、「疎外」は,私考では、個体種欲動=銀河系(阻害)に位置するかと思われます。


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