「空間認知能力」言語だけから物理的なものに意識を向ける
言語。
執筆を生きがいとしている僕にとっては欠かせないものだ。
しかし、それには弊害がある。
言語ばかりに記憶の中身が占められていて、物理的なものに対する記憶が少なすぎるのだ。
僕の頭の中は常に言葉でいっぱいである。
ある種、ある意味、職業病ではないだろうか?
言語に意識を向けすぎるとモノをなくす
僕の頭の中は言語で占められている。目の前に見えているものは見えているようで見えていない。
頭の中、認知は全て言語に向けられている。
こうなると問題なのがモノをなくすということだ。
僕の頭の中は言語で埋め尽くされ、言語で全て処理されている。
なので、物理的に「モノをどこに置いたか?」それを忘れてしまうのである。
そう、頭の中が全て言語で占められているからである。
これは問題で、昨日はHSP気質である自分の日差しの刺激対策用のサングラスを無くしてパニックになってしまった。
探すにもどこに置いたかを全く覚えていない。
記憶が言語しかないからだ。
言語ばかりだと全てを言語で理解しようとしてしまう
言語ばかりに偏りすぎていると、全てを言語で理解しようとしてしまう。
言語で理解しようとするとは、論理思考によるロジックで全てを解釈できるということを試みてしまうのだ。
しかし、実際の世の中はロジック、つまり理屈だけで全てが動いているわけではない。
言語だけになってしまうと、現実に起こる理屈で動いていないものに対面するとパニックに陥ってしまうのだ。
言語は僕本人は好きだが、それで生きづらさを感じるなら直さねばならない。
「空間認知能力」言語から物理への意識の転換
そこで僕は言語に偏りすぎの頭を少し変えようと思う。
言語だけへの注目から、物理的なものへの注目へ変えようというわけであり。
その方法としては、部屋の整理整頓である。
整理整頓とは、片付けだけでなく「どこに何をしまうか?」「次に取り出しやすい方法は何か?」そういったことを考えながら整頓するわけだ。
こうすることで、物理空間である空間認知能力を再起動することができるのだ。
空間認知能力とは脳の言語野以外を使うので、普段、言語のことばかり考えている僕の脳をリフレッシュしてくれる。
部屋の片付け。言語に偏っている人にはおすすめである。
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ここまで、「僕は言語に偏っていると」書いたが僕は職業デザイナーである。
仕事中は完全に空間認知能力の世界だが、家に帰ると完全に言語脳なのだ。
これをなんとか僕は直したいと考えている。
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