若いアーティストへの手紙 “Do it because you cannot not do it.”
もう15年ほど前の話だ。
マッキンゼーのニューヨーク支社に勤務していた頃、週末になるとNOLITAの家から徒歩3分の本屋でよく書き物をしていた。その本屋は、本好きの憩いの場として知られるマクナリー・ジャクソンというインディペンデント書店。
そこに併設されたカフェで、コーヒーを片手に、デルタスタジオの構想を練ったり、偉人の点火のきっかけを調べてメモを取ったりしていた。
そして、作業に疲れると、息抜きのために本屋に並べられた雑多な本を眺めにいき、ときに手に取っては店内を歩き廻っていた。知的で、素敵なスタッフさんがいて、すれ違う度に柔らかく微笑んでくれた。今から思えば、たまに出会うその微笑みも楽しみに歩いていたのかもしれない。
そんな中、ある日ふと手に取った“Letters to a young artist(若いアーティストへの手紙)”という本の一文が、僕がマッキンゼーを飛び出し、起業をする準備ができているか否かを判断する際の「ものさし」となった。
“Do it because you cannot not do it. (やらずにはいられないから、やるのです)”
“Want to do it”(やりたいから、やる)ではなく“Cannot not do it”(やらずにはいられないから、やる)。このタブルネガティブな表現がズドーンと僕のココロに突き刺さった。
このままマッキンゼーに勤め続けるべきか?それとも会社を飛び出し、デルタスタジオを立ち上げるべきか?と自問自答していた自分。まるでそんな自分に語りかけているかのように感じられた。
それ以来「Cannot not do it(やらずにはいられない)」の域になったら始めよう。そして、その時を受動的に待つのではなく、その域に到達するように自分を焚きつける行動を意識してとるようになった。
この“Letters to a young artist(若いアーティストへの手紙)”という本はオノ・ヨーコさんなど著名なアーティストがこれからアーティストを目指す若者に向けて綴った手紙が24通収められているのだが、先ほどの一文はジョン・バルデッサリという米国のコンセプチュアルアーティストの手紙に出てくる一文だ。
Dear Young Artist,
I started my career as a young artist in 1957. Then, there was not the money in art that there is today. Therefore, one made art because one needed to do so. I taught public school five days a week and painted the I could. I got married and participated in having two children, which made it more difficult to make art. I lived in National City, California, not an art center.
My advice? Don’t get into art for fame or fortune. Do it because you cannot not do it. Being an artist is a combination of talent and obsession. Live in New York, LA, Koln, or London. As for money: If you’re talented and obsessed, you’ll find a solution.
Yrs in art,
John Baldessari
Venice, California.
("Letters to a young artist". John Baldessari etc. Darte Publishing LLC. 2008. P.39)
バルデッサリさんが若手のアーティストとして活動をし始めた1957年には今ほどアートコミュニティにお金が循環していなかったという。バルデッサリさんは、週5日学校で教え、2人の子供を育てながら、その合間に「作らずにはいられなかったから、アートを作った」と。そして、名声のためでも、富のためでもなく、「作らずにはいられない(cannot not do it)」という衝動からアートを作るべきだと言う。アートとは才能と執着による産物であり、それらがあればお金はどうにかなると。
あるデータによると、起業は9割以上が失敗するという。戦い続けるにはアーティスト並みの執着心が必要であり、“Cannot not do it(やらずにはいられない)”の域にいっていないなら始めるべきではない。
これから何らかの挑戦をしようとしている人がいれば“Cannot not do it(やらずにはいられない)”の「ものさし」で自分を測ってみると何かが見えてくるのではないかと思う。
デルタスタジオを立ち上げて12年以上経つが、僕はいまでもこの「ものさし」を使っている。デルタスタジオは今でも自分にとって“Cannot not do it(やらずにはいられない)”なものか?そうでないとすれば、自分そして環境の何を変化させないといけないのか?挑戦を続けるためには、水面下ではそのような自らへの弛まぬ問いかけと絶妙なチューニングが必要となるのだ。
起業家とアーティストには通ずるものがある。この小さな緑色の本は、僕だけでなく多くの起業家に重要な問いを投げかけてくれることであろう。アーティスト、起業家、さらには人生を大切に過ごしたいと願う誰もにとってバイブルとなりえる本だ。興味が湧いた方は是非手に取ってみて頂ければと思う。
なお、余談になるが、このNoteを書く際にマクナリー・ジャクソン書店を検索したら、15年前にお世話になったあの小さな書店は未だに存続しているだけでなく、益々その存在感を強めていた。amazonが台頭し、大手書店が次々と倒産する中で、独自の価値を提供し、今では4店舗展開し、NYの「文学文化」の中心地としての地位を確立しているという。
そして、書籍を棚にしまったり、レジを打っていたあの素敵な女性は店員ではなく、書店のオーナーであったことを知った。彼女は今ではNY Timesに特集を組まれ、ファッションブランドのトリーバーチにとりあげられるほどの存在になっていた。開店が2004年とのことで、僕が書店に通い始めた1年前に開店したばかりの店だったとのこと。僕がカフェに長々と居座らせてもらいながらデルタスタジオの構想を練っていたときに、彼女はまさに走り出したばかりの起業家だったかと思うと感慨深い。開店したばかりで不安もあっただろうが、そんなそぶりは一切見せず、涼しげで、柔らく、温かく、強い芯をもった人であった。
いつの日か、彼女がどのような想いで“Letters to a young artist(若いアーティストへの手紙)”を書店の棚に置くことにしたのかを聞いてみたい。そして、僕らデルタスタジオとしても東京にマクナリー・ジャクソンのように文化の中心となるような小さな書店を開くことを夢みる。