邯鄲の歩み
自分の本文を忘れて、やたらに人のまねばかりしていると、中途半端で何も身につかなくなること。
この例は、田舎の若者が、都会の浮薄な流行におわれていたため、自分の身につくものがないままに終わったというものである。この物語のあらましは、
「かつて、寿陵という田舎からでてきた若者が、趙の都である邯鄲で歩き方を学んだ。ところが、都会でのスマートな歩き方が身に着かぬうちに、
自分の本来の歩き方も忘れてしまい、ついには、歩くことができなくなって、はらばいになって故郷に帰って行った」というのである。
往々にして、本来の自分の在り方を忘れ、時流や、風潮にながされて、それを模倣してばかりいると、学問の道だけでなく、人生の在り方や、事業の進め方でも大いに誤ることがあるのである。
まず、自分を見失わないことが大切であろう。
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