剣道指導者としてやっちまった話~ざんげ~
おめんたいたい!
けんしくんです😎
とっくにおじさんになったけど
僕にも学生時代はあったのだ。
大学生の夏休みのこと。
母校の中学校剣道部に
指導をしに行った。
部活のS先生は
僕が教わった頃から変わらずに
厳しい指導をされていた。
先生の熱意には共感が持てたけど
稽古は大嫌いだった。
正直、いま訴えたら
圧勝できるくらいのレベルで
厳しい指導をうけたからだ。
剣道の技術は身に付いたことで
人生で得したことはたくさんある。
それには感謝するが
他に失ったものもたくさんある。
さて、母校にかえった話に戻ろう。
僕は教員を目指していたので
中学のときに受けたスパルタ指導より
もっといい指導法があるだろうと、
現役である自らの選手経験を元にして
大学の授業で学んだ
・スポーツメンタル
・栄養学
・剣道の技術論 など
各分野を積極的に活用して
「古臭い精神論とはさようなら。
最高のアドバイスを生徒にしよう。」
そんなふうに思い込んでいた。
僕ならできる。
まさか、その意識の高さが
悲劇を起こす日がくるなんて
想像できるわけもなかった。
教えに行ってた中学の部活では
夏の全国大会予選を前にして
先生の指導にますます熱が入っていた。
僕はそれをみて
部員は完全に
オーバーワークだった。
試合に出る選手は
そろそろ稽古量を落として
自分の技が決まるとか
しっかり相手の動きが見えるとか
技術的にも精神的にも
余裕をもって
「自分達で」調整をかける時期だ。
一方で
まだあれが足りない
これが足りないと
先生の要求は止まらず
夏の暑さも手伝ってか
何度も反復練習させるので
生徒たちはクタクタになっていた。
僕の時もそうだった。
やっているのではなく
やらされている剣道。
自分の良さがわからず
勝っても負けても怒られる。
この子達の全中予選は
どうなってしまうんだろう。
僕たちが敗れたように
きっと悲しい結果になる。
このスパイラルを止めるのは誰?
僕しかいないでしょう。
謎の責任感を背負い
少しくらい先生と争うことも
計算に入れた。
まずやるべきは
体力がどん底まで落ちている部員を
少しでも回復させ
気持ちにゆとりを持たせること。
心は体の状態に引っ張られる。
疲れて追い込まれた状態では
論理的な思考はできない。
大学の講義でそう言ってたもん。
ある日、先生が稽古の最後になって
早素振り300本を部員に課した。
「けんし、代わりに見といて」
チャンスだ。
僕は先生がいなくなったあとに
100本でやめさせた。
部員の「やります」という言葉とか
先生と僕のどちらの指示を聞くかとか
困惑した態度は突っぱねた。
はい、即バレました。
本来やるべき量の1/3だもんな。
「終わるの早くねぇか?」
「いや、終わりましたよ」
僕は平気でいった。
あのときの部員の表情が
美術館の彫刻みたいだったのは忘れない。
「お前らやったんか?」
言葉の刃がみんなに向けられる。
僕は戦う気満々だったので
こわくなかったんだけど
みんなはかわいそうだったね。
結局、僕が勝手にやったということで
部員が怒られることはなかった。
気持ちにゆとりを
持たせたかったのに
逆に不安を抱えた部員たちの背中には
夏の最後の東京都大会が迫っていた。
そして本番。
団体戦は優勝すれば全国大会に出られる。
6位までの入賞で関東大会も。
僕は外部指導員(コーチ)として
後輩たちと戦いの場へのぞむ。
一回戦、二回戦...
プレッシャーのかかる大会で
みんないつもよりいい動きをしてる。
まじで全国見えてきた。
ベスト8。
ここで勝てば関東大会は確定。
相手も強いけど
今日の調子なら勝つ。
はずだった。
先鋒から副将までで(1人目~4人目)
こちらが一本リードの有利な展開。
あとは大将が引き分けるだけ。
もうほぼ勝ち。
引き分ければ勝ち。
いや待てよ。
この状況どこかで...
そう。
僕が中学生だったころ
同じくベスト8の東京武道館でのこと。
大将の僕は
プレッシャーに弱く
守ればいいのか
攻めた方がいいのか
判断ができず
チームは逆転敗けを喫したのだった。
ボロぞうきんと化した僕は
その後の順位決定戦では
まったく使い物にならなかった。
仲間が勝ってくれたおかげで
関東大会は出られたけど。
─あのときと同じシチュエーション。
神様はこの子達のために
僕を使いによこしたのだろう。
そう確信した。
だから、この状況のまま
大将の子を試合場へ
送り出してはいけない。
ここは大きく流れを変える場面だ。
僕は大将の子に声をかけた。
「うんこって言ってみ」
???
???
「緊張してるだろ?」
...
「ほら、小さい声でもいいから」
???
いや無理です。
僕の記憶が間違ってなければ
大将はたしかにそう言った。
いま思えば
それが精一杯の
セリフだったのかもしれない。
シャイな子だったしね。
でも僕は本気だ。
頼むから
うんこと言ってくれ。
じゃないとお前は負ける。
僕はフランクに笑いながらも
本気で伝えた。
けれども大将が
言葉を発することはなかった。
そして
負けた。
そのあとはみんなの力で
上位6チームに入り
関東大会には出場した。
もし、あのとき大将の子が
笑顔でメッセージを発していたら。
そう考えると
無理矢理でも言わせるべきだった。
後悔はつきない。
暑い日の思い出。
***
今回の記事を書くにあたり
当時の大将の子に許可をもらうため
連絡を取った。
すると
「高校で練習試合しすぎて忘れました」
続けて
「(そのときの)相手は高校の国体予選で負け、
大学新人戦で負け、社会人になっても
勝てない天敵です」
という。
指導者が選手に与える影響は
どうやら大きいみたいだ。
※実話です