『八咫烏様は願わない』 一話目
古来より神の遣いとされる八咫烏。
三本の足を持ち、古くは太陽の化身とされた。
明治維新ののち、影に隠れた八咫烏。
それが今、再度、日の目を見ようとしている……。
キーンコーンカーンコーン。
そんなことを語る授業が終わり、黒板には九月十八日の月曜日をみながら、俺は大きな欠伸をする。
こんにちは、ストーカーです。え? 誰の、って?
左斜め後ろの席の壱野。ね。かわいいでしょ? クラスの誰とも馴染まない。かといって虐められているわけでもなく、ただ世の中を俯瞰してみているような……その誰にも染まらないところが、ぞくぞくするほど好き。
『千悟。お前に大事なことを伝えていこう』
『よく聞いてね。あなたは本当はー』
そう車のなかで言ったのを最後に、さくっと飲酒運転の車が突っ込んできた父母のように、仲いい夫婦になるのが俺の夢だ。だが悲しいかな、俺はまだ、壱野に認識すらされていない気がする。
―今日も、図書館に行く壱野をこっそり見て至福の時を得よう……。
そう思って教室の外へ向かおうとした瞬間、
ードゴン!!
という大きな音がした。同級生たちの悲鳴が響く。思わず振り返ると、黒い天狗のような男たちが窓ガラスを突き破っていた。
「……えっ?」
「なに、先生呼んで!」
「警察じゃない!?」
そんな声のなか、俺は確かに聞いた。「……黒鴉千悟。見つけたぞ」そう、天狗が言ったのを。
ー俺を知っている!?
そのことに気づいて、逃げようとする。
だが、教室の出口には天狗が仁王立ちしている。
「な、なんだよお前たちは!」
「おや、何も知らないのか」
そういって、天狗は俺を蹴飛ばす。
「わあ!」
俺はあっけなく吹き飛ばされて、ガラスの割れた窓際に背中から着地する。
―痛い、痛い、いたい、イタイ!
そう思う間にも、天狗たちは俺を取り囲み始める。
ごくりと息をのむと、「これにて、任務完了」という声とともに、剣のついた錫杖が振り下ろされる。
―え。俺、死ぬの?
そうして、俺の顔にも錫杖の影が降り落ちた時……。
「ぐあああ!」
俺ではない人間の悲鳴が聞こえた。今まさに俺を殺そうとしていた天狗の首が切り裂かれ、血が噴き出して倒れたのだ。
「な、なんだ!?」
俺が問うと、そこに立っていたのは、懐剣を持った壱野だった。何事もなかったかのように血の付いた懐剣を握りしめている。
「小娘! なんのつもりだ!」
「だめだ! 一般人には手を出すな!」
「黒鴉千悟だけを抹殺せよとの命令だ!」
そう言っている天狗たちが、次々と首を狩られて殺されていく。残ったのは、静寂と、むせかえるような血の匂いと、呆然としている俺と、そしてー血を浴びても平気そうな顔をしている壱野。
「た、助かったよ。壱野」
「……本当にあなたは、何の自覚もないのね」
「え……?」
「あなたは『八咫烏』の末裔。いつかこの日が来ることは、知っていたはずなのに」
その言葉に、答えることはできなかった。
同じようなことを、通りすがりの老婆に、楽しそうにママと手を繋いでいる少年に、町ゆく色々な人に言われたことがある。でも、俺は『八咫烏』なんて知らない。こんな日常が訪れるなんて、知らない。
家に帰ったのは、それからすぐのことだった。
目撃者となったクラスメイトたちは警察に連行されたが、俺と壱野は無罪放免となった。明らかに壱野は犯罪をしているわけだが、何もいわれずに俺とともに家に帰るように言われたのだ。おかしい。おかしいが、今、一人になるのも怖かった。
両親も死んで一人暮らしだが、家は4LDKとだだっぴろい。東京の一角にしては広すぎるほどだ。保護者としては叔父が後見人となっているが、めったにこの家には来ない。会社の社長をしていて色々忙しいんだろうと思うし、俺としても一人のほうが過ごしやすい。両親が死んで一年。一人になりたいときもある。
「……って、何してるんだよ!」
「なにって?」
「どうして服を脱いでんだよ! ……うわ!」
壱野に押し倒されて、俺は彼女のたわわな胸が実ったブラジャーを凝視するはめになる。
「あなたには、ヒトゴロシは非日常でしょう。慰めるためには、これが一番早いでしょう」
「いやいやいやいや、こういうのは好きな人とやるのが」
「私の事、きらいですか?」
「えっ。むしろ好きだけど」
「じゃあ、いいんじゃないですか?」
ぎしり、とリビングのソファが鳴る。脱ぎ捨てられたセーラー服とパンツ、腰につけただけのスカート……。思春期男子の下半身が大きくならないわけがない。
「黒鴉様は心の平衡を取り戻す。私は、『八咫烏』様への義務を全うする。お互い、いいことだらけじゃない」
といって俺の目とあった壱野の瞳は、なんの感情もなく冷たかった。
「~~~!」
俺は下半身からの欲望に打ち勝って、ソファにあったひざ掛け毛布で壱野の上半身をぐるぐる巻きにする。
「きゃっ」
「俺は! 俺のことを好きな人としかしない! いいからあったまってて」
「でも」
「……1,3,5,7,11、13、17……」
「何しているんですか」
「素数を数えてる。あと宮姫さん(優等生)とクルミさん(ギャル)に冷たい目で睨まれたときのことを」
「それって被害妄想じゃないですか」
「そうかもしれないけど。というか早く服着て!」
「……別に、私で発散してもよかったのに」
そう言いながら、不承不承、壱野は服を着る。
「だから、そういうのはだめ! 大体、『八咫烏』ってなに? 義務って? 今日襲ってきたあいつらは?」
「本当に何も知らないのね」
同じようなことを、また言われた。壱野は、戸棚の上においてある両親の遺影をみつめる。
「黒鴉のご夫婦が亡くなったことは知っていたけれど、まさか一人息子に何も教えていないなんて」
「……何の話だ?」
「あのね、あなたは、この世界の支配者となるの」
「……………は?」
壱野は妄想狂だったのか? それとも新手の新興宗教へのお誘い?
「あなたが望むことなら、なんでも叶う。お金持ちでも、ハーレムでも、平々凡々な日常を過ごしたい、でも」
「ちょっと待て。何を言ってるんだ?」
「信じられないのも仕方ないけれど……。これが、証拠」
そう言って、壱野は俺の手に、右手を重ねる。まるで恋人つなぎのようになると、その手のなかに小さな光が集まってきた。……嘘だろう? 俺、ただの人間だったよな?
「私のような『一之足』の末裔となら、こうして『共鳴』することができる。そして祭壇に行けば、黒鴉様の願いは必ずかなうの……」
願い、と聞いて、俺はピクリと反応する。そうだ。死ぬ前の両親も、そんなことを言っていた。
『あなたは、どんなことでも叶えられるのよ』
『千悟が願えば、どんなことでもな……』
その後すぐに、飲酒運転の車が突っ込んできて、両親は死んでしまった。だが、もしそれが真実なら……。
「本当に、どんなことでも?」
「ええ」
「じゃあ……。笑ってください」
「………………は?」
今度は、壱野が呆然とする番だった。
「中学のころから君のこと好きだったんだよ。同じ高校に入るために勉強だって頑張ったし、君が本が好きだっていうから同じ本を図書館で借りて……」
「それ、ストーカーって言いませんか? っていうより! 私はあなたが入る高校と同じところに行くためにしなくてもいい勉強して、あなたが図書館に通うから読みたくもない海外文学を読む羽目になったんですけど!」
「つまり、両思いってこと?」
「違います! 私のは義務です!」
壱野の言葉に、若干の悲しみを覚える。それを悟ったのか、壱野も、こほんと咳払いして言葉を継いだ。
「私のような『一之足』の一族は、黒鴉様に奉仕する存在です。あなたを守り、あなたが正しく地位を継ぐ日のために尽力する。それが義務です」
「じゃ、壱野には本当は別にやりたいことがあるってこと?」
「え?」
「義務があるのは分かった。そのために頑張ってきたのも分かった。じゃあ、君がやりたいことは? 本当はなんなの?」
「そ、それは……」
壱野が狼狽する。そんな顔、見たことなかった。
「考えたことも……ありませんでした。黒鴉様に奉仕すること以外は何も……」
そう言ったとき、玄関が強く開く音がした。壱野が立ち上がって身構える。入ってきたのは、威風堂々とした年上女性と、その配下らしき戦闘服の男たちだった。
「弐佳様……!」
「壱野。お勤めご苦労。だが、すこし配慮が足りなかったな。強襲されるならば、学校外にするべきだった」
「も、申し訳もありません……」
平身低頭する壱野に、俺は「いやいや」と突っ込む。
「壱野は俺を助けてくれたんだぞ? どこで襲われるかなんて計算できるもんじゃないだろ!」
「それを計算するのが『一之足』の役目よ。さて……」
弐佳と呼ばれた女は、ニコリと笑って俺の顔を覗き込む。
「ご足労願おうかな。黒鴉様。我らの、本来あるべき土地へ」
京都には、市内と市街という概念があるらしい。京都の古い町があったところが市内。それ以外が市街。市内のほうが格上で、そのなかでも、元々御所があった場所は特別とされるらしい。そして今、俺は昔御所があったという場所にいた。
「……一体、どういうこと?」
「おや? 壱野から聞いてないのですか? あなたはこの御所におわす『八咫烏』の一族の末裔。この世を統べる者なのですよ」
「似たようなことは聞いたけど。俺、普通の高校生だよ!? 超能力もない!」
「いいえ。ございますよ」
そういって、弐佳は俺の手を取る。繋ぎ合った手から、壱野と触れ合ったときよりも大きな光が生まれた。
「これは……」
「他人の願いを叶える光。たとえば私が、くまさんのショートケーキがほしいと言えば」
弐佳の左手には、くまさんのショートケーキがぴょこんと生まれていた。案外かわいいものが好きなんだな、この人。
「どうして壱野のより大きいんだ?」
「あの子は『一之足』。私はそれより上の『二之足』ですから。その分、願いを叶える力も強大」
ちらりと背後を見ると、そこには壱野が俯いて座っていた。
「さあ。黒鴉様。何を願いますか? 世界平和? 億万長者? どんな願いも叶えられますよ」
「だったら、俺はー」
ごくりと息をのむ。弐佳の手から離れて、壱野を見つめた。
「壱野が、笑っている世界を望む」
「……は?」
「言い忘れたけど、俺、壱野のストーカーなんです」
「…………え?」
「だから、壱野がやりたいことを見つけて、笑ってて、義務とかに縛られない、そんな世界を望みます」
「……ありえない! どんな願いも叶うんですよ!?」
「俺は凡人なんです。だから、好きな人が笑ってるだけでいい」
父と母も、そう言っていた。
『でも、決して願いの力に振り回されないで』
『好きな人と一緒に居られれば、それでいいのよ』
我が親ながら、それは正解だと思う。
弐佳と俺の間にあった光が、どんどんと薄れていく。その代りに、御所の祭壇に備え付けられていた椅子が、光り始めた。
ーその願い、かなえよう。
そんな声がしたと瞬間、部屋中が光に包まれた。そして、すべての光が終息した後、目の前の景色は、特に前とは変わっていない。
弐佳が、ため息をつきながら言う。
「契約は結ばれた。あなたの元にはこれから、困っている人たちが大挙として押し寄せ、願いを叶えてほしいというでしょう。その代償に得たものが、『一之足』の笑っている世界とは」
「いや、多分、代償ですらないよ。笑顔ってのは、長い時間をかけて、二人の間で作っていくものだから」
まだ、壱野は笑っていない。その笑顔を手に入れるのは、俺が自分でやらなきゃいけないことだろう。
「ご自由に。契約が結ばれた以上、私もこれを上に報告する義務がある。あとは、若いお二人で」
先ほどまでと違って、俺への敬意がなくなっている気がするけれど、そのほうがいい。
「壱野。へいき?」
「……。私、ストーカーを受け入れたわけじゃないですから」
壱野が、きっと顔を上げてそういう。
「私が、黒鴉様をーーいえ、千悟君を好きって思うまで、笑ってなんかあげませんから」
俺は嬉しくなる。それこそが、俺が望んだ世界だ。
「うん。それでいい」
俺は、壱野の手を握る。小さな光が部屋に満ちた。
「ゆっくり、俺のことを好きにさせてみるから」
壱野は「できますかね?」なんて言ってる。
やるさ。俺がストーカーするほど、好きになった子なんだから。
君を笑顔にするためなら、俺は、なんでもする。
ーこれが、俺の平凡な日々が終わった日。そして、俺が壱野を殺すまでの物語。
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