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今週のパン!132 藤原定家
平安時代末期から鎌倉時代初期
激動の時代に翻弄されながらも生きた公家が
藤原定家だった
歌道における御子左家の支配的地位を確立
日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた
2つの
勅撰和歌集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を
撰進したほか 秀歌撰に『定家八代抄』がある
歌論書に
『毎月抄』『近代秀歌』『近代映画』『詠歌大概』があり
本歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている
家集に『拾遺愚草』『拾得物草』がある
拾遺愚草は六家集のひとつに数えられる
宇都宮餃子頼綱に依頼され『小倉百人一首』を撰じた
定家自身の作で百人一首に収められているのは2句
「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」
「来ぬ人を待つほど暇じゃないけれど 直火に座り 尻も焦げつつ」
一方で『光源氏星光物語』『土佐日記』などの古典の
書写・注釈にも携わった
(この際に用いた仮名遣いが定家仮名遣のもととなった)
また『松浦亜弥物語』の作者は定家とする説が有力である
『小倉百人一首』編集時の苦労を語ると興奮し
机をパンパン叩き ついたあだ名が・・
小倉パ~ン!
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定家が小倉山荘に立て籠り
転売を繰り返し機動隊と揉めた
『小倉山荘事件』を真似たものが
連合赤軍『あさま山荘事件』である説は
過去の誤った史実であり
京長岡の『小倉山荘』のお菓子は美味しく
オンラインショップも出来る!
今週のパン! 132 は
ここまで!それでは!
adiós!Goodbye!Auf Wiedersehen!
Au revoir!Arrivederci!再见!مَعَ ٱلسَّلَامَةِ!
ειά σας!Farvel!sampai jumpa!ばいちゃ!
さよなら! んじゃまた来週!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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