コーヒーとルームメイト
コーヒーを好きになったのは、いつ頃からだったか?缶コーヒーでもブラックも飲めなかったのに。いつの間にかドリッパーでコーヒーを入れるようになっていた。コーヒーの淹れ方を勉強してみたり、だんだんと好きになっていった。でも、既に挽いたものを使っていたので「コーヒー好き」を名乗るには少々恥ずかしい。超の字が付くほどコーヒー好きではないけど、毎日の生活にコーヒーは欠かせない。
先日小さいけど、遂にコーヒーミルを購入した。おいしい手紙で和歌山の色川から届いたコーヒー豆を挽きたかったからだ。袋を開けると、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。一気に使ったらもったいない。少しずつ豆をミルに入れる。豆を挽くには意外と力がいるみたいだ。力を込めてハンドルを回す。ゴリッゴリッと豆が挽かれる。豆が粉になり、部屋中にコーヒーの香りが漂う。
カナダに居た時からずっと使っているお気に入りのドリッパーをカップにセットする。お湯を注いでペーパーフィルターの紙臭さを取り除く。少しコーヒーを蒸らしたほうが、味がしっかりするらしい。物は試しでやってみたら、美味しい。以来、この手順は欠かさない。在宅勤務でも、朝は自分の仕事の準備や子供の支度でドタバタしている。それでも、コーヒーを飲むと一息つける。ドリッパーをシンクにつける。カナダに居た時に買ったから、このドリッパーもう数年使っているよな。
そういえば、ルームメイトだったティムがこのドリッパーを勧めてくれたんだっけ?そうだ、確かティムだった。ドリッパーを買ったことを思い出しながら、炎天下の中、一緒に散歩に行ったことも芋づる式に思い出す。同じアパートに住んでいた期間は短かったけど、お互いに境遇が似ていて、彼に親近感を抱いていた。子どもが生まれた時メールしたきりになっていたが、元気にしているだろうか?今もパイロットになる夢はあきらめていないのだろうか。
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ティムが二階の部屋からドスドスと降りてくる。かなり大柄な体格だから、この古いアパートの階段の軋みが普段より少し大きく聞こえる。リビングのテーブルで朝食を食べている僕を見ると、おはよう、と声をかけてくる。ティムは、僕より一回り年上だ。僕と同じ測量会社で働いているパイロットだ。まだ僕と同じように研修中ではあるが。体はいかついが、温和でよくしゃべり、とてもフレンドリーだ。
「キミ、出張はいつだっけ?」
台所に移動したティムがこちらを振り向かずに聞いてくる。
「まだ日にちは決まってない。ノバスコシアのトルローに行くとか言ってたな。」
そうか、そうかと頷き、ティムがリビングにコーヒーを2つ持って戻ってくる。差し出されたコーヒーを受け取りながら、昨日隣町のスーパー(SOBEYS)で買ったドリッパー早速使って淹れたんだなと気づく。ドリッパーが気に入ったのか、「同じやつ買ったほうがいい。出張行った時とか便利だ」とさかんに勧めてくる。
ティムは研修の最後にパイロットの実技試験があるため、試験の日を待っている。その試験をパスしたら、正式に雇用されるとか。僕も出張の日程が天候や何やらで中々決まらず、自宅待機の状態だ。二人してため息とともに天井を仰ぐ。日本にいる家族のことやカナダでのこれからの生活について話をする。ティムはオーストラリアから移住してきたので、僕と同じようにカナダ生まれではない。以前に奥さんと子どもは別の州に住んでいると話していたが、今日も家族のことを嬉しそうに話してくれる。娘さんが歩いている動画を見せながら、笑顔を見せる。時折、パイロットという仕事についても熱く話す。
「ずっとパイロットになりたかったんだ。」
パイロットになりたくて、でもチャンスが中々なくて、それでもパイロットに憧れていた。以前はトラックの運転手をしていたが、小型機の免許は持っていたから、今の測量会社が求人を出した時にダメもとで応募したとか。あともうちょっとでドリームジョブに手が届くんだと嬉しそうに言う。
「タブレットで操作するのをやったことがないから不安で何回も練習しているだよ。小型機の操縦に関しては問題ないんだけど。」
この測量会社では、小型飛行機からレーザーを照射し、そのレーザーの跳ね返りを測定し、集めたデータを用いて、例えば森の樹高等を含めた3Dマップにする。通常の小型機を操縦するパイロットの仕事とは違うんだろうな。
「ティムだったら、大丈夫じゃないかな。」
無責任だけど、すごくいいルームメイトだから、心から応援する。
「運動がてら隣町まで散歩に行くけど、一緒に行くか?」
僕は今日もやることがないので、部屋に居るよりましかなと誘いに乗る。カナダでも、夏は暑くて日差しはキツイ。まだ数分歩いただけなのに、首から伝った汗がTシャツを濡らす。僕らは車を持っていない。僕は林業学校で学費でだいぶお金を使い、いまだ研修中で車を買うお金がない。ティムもまだ研修中だからお金をあまり使いたくないそうだ。ああ、この広大な国で車がないなんて。二人ともいい年して車を使わずに、道路を歩くだなんて驚かれるだろう。僕らは年齢も生まれた国も違うけど、新しい環境で何か掴もうと藻掻いている。
アパートは空港近くにあり、周りにはスーパーも何もない。隣り町には大型スーパーもあって、さらにティムホートンズだってある。でも、歩いて行くとしたら何時間かかるだろうか?車があれば、数十分で着くというのに。てくてくと歩き続ける。アスファルトから湯気が立っているかのようだ。運動不足がたたって、息があがる。暑い。するとティムが笑いながら、スニーカーの裏を見せてくる。
「最近、健康のためにと歩くようになったら、靴裏のソールが破れて穴が開きそうだ。靴一足しかないから困るな。」
僕も笑い返す。炎天下でこんなに暑いのに、そんなに呑気に笑えるなんて。スッと力が抜ける。自分では気づかなかったが、仕事や生活のことを深刻に考えていたのかもしれない。
航空学校の練習用セスナが僕らの真上を飛び去って行く。今日も飛んでるなあ。小さいボディが空でふらふらと揺れている。
「正直言うと、オペレーターの仕事で飛行機乗るのは苦手で、この仕事合っていないかもしれない」
ぽつりとティムに愚痴る。
「まあ、もし本当にダメだったら、その時考えればいいじゃないか。とりあえず、出張は行くんだろ?」
内心では、運動会が中止になってほしい小学生のように、出張も急遽止めにならないかなと思っている。まあ、中止にはならないだろう。いいさ、案外うまく行くかもしれない。明日飛行機に乗るのが好きになることだってないわけじゃない。
「とりあえず、出張には行くよ。行ってから考える。」
隣町に続く鉄橋では、車がビュンビュンと何台も通り過ぎる。二人で車が来るたび立ち止まり、そして歩き続ける。一時間以上は歩いている。汗は止まらない。肌もピリピリで、赤い。
「もうすぐティムホートンズがあるはずだ」
赤い看板が目に入ると、二人ともお店目掛けて小走りする。ドアを開けると、冷えた空気が身体を包む。あああ、気持ちいい。生き返る。ドーナツの甘い匂いとコーヒーの香りがたまらん。氷がたっぷり入ったコーヒーを注文し、ソファに崩れる。黙ってコーヒーを一気飲み。
「これからどうする?」
これから?これからの僕の人生?ボーッとしている僕の頭にティムの声が飛び込んでくる。聞き間違えた。
「スーパー寄ってくか?今日は俺がステーキを焼こう。オーストラリアの焼き方だ。美味いよ。」
名残惜しくも氷の入ったカップを捨て、外に出る。ティムがこちらを振り返り、スーパーに行く途中にこの間行った良い古着屋があるんだけど、寄って行こうと言う。苦笑しながらも頷く。すごいスタミナだ。体力だけじゃなくて、いつでも陽気でいることや力強さみたいなもの。
「よし、行こう」
まだ行けそうだ。
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エッセイの中の「おいしい手紙」について:
おいしい手紙は、和歌山県の色川にあるらくだ舎さんから届くおいしいもの付きの手紙。今回は、庄司珈琲焙煎所さんのコーヒー豆が届きました。
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