可能性に蓋をしてるのは
今この現実は全て自分が選び取った結果
という考え方を知った時、
ものすごいショックだった。
私は飲んで暴れる父を選んだ訳でもないし、
それに大声で抗う母を選んだ訳でもない。
でもそれ以外を取って考えてみると、
自分で選んできたと言わざるを得ない気がした。
可愛いより綺麗、
デザイン性より機能性、
和食よりイタリアン、
駅近より敷地面積、
あの職場よりこっちの職場
全部、自分で選んできていた。
そうやって考えてみると、
「あれをやってみたいけど、私には無理だ」
という考え方は、自分で自分の可能性に
蓋をしている、ということになるのではないか。
やってもいないのに、無理だと決めつけて
自分を信じていないのだ。
なんてこった。
でも、こんな考え方をしている人はきっと多い。
そしてそれはひどく悲しい悲劇のようだ。
ということは、それだけたくさんの人のところに
悲劇が起きていることになる。
なんてこった。
もし、出来る、と選択できたなら。
もし、やれる、と信じられたなら。
明日から景色が違って見える気がする。
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