未来のためにできること
未来のため、と言っても今の自分には今を生きることしかできない。
人のため、家族のため、仕事のため、環境のため、未来のため。
何かのためになることばかりしていたらすぐに人生は終わってしまう。
自分をしあわせにできているだろうか?
それをいつも問いたい。
誰かのために何かをすると感謝されたり褒められたりして気分がいい。
だからいつも誰かのために何かをしてしまう。
そして自分がつらくなる。
世の中は、ギブ&テイクだと資本主義は教える。
何かのために何かをすると何かがもらえる。
全ては等価交換、または少し自分がトクをするようにと教えられる。
それが商売だと。
私は東京と瀬戸内の島の二拠点で暮らしている。
ええ身分じゃのう、と島のおじさんは言う。
私も二拠点してみたい、と友達は言う。
確かにお金も時間も労力もかかる。
でも始めるのはそんなに難しいことじゃない。
そうするか、そうしないか、を決めるだけだ。
行ったり来たりふたつの家を管理して、家賃と交通費を稼いで1ヶ月ごとに環境が変わるのは精神的ストレスがかかる。
2つの環境が全く違うから。
だけど、選択肢は自分で選べる。
大変だけどそれ以上に楽しいから続けてしまっているのだ。
ただそれを選択するかどうかの問題だ。
最初は気軽にやってみよう、と思って始めたけど、もう東京だけの生活には戻れない。
ずっと何やってたんだろう、と思う。
流行りの服を着てキレイにメイクして、お洒落なお店に行き、美味しいご飯を食べてたくさんお金を払う。
そのために、たくさん働いてたくさん稼いで。
SNSを毎日チェック。なんなら友達といてもSNSをお互いに見てたりする。
目の前の友達じゃなく見ているのはスマホの画面。
みんな気づいていないのかな。
電車に乗っている人のほとんどがとても疲れていて微笑んでいる人がいないこと。
島で暮らしていると、メイクや洋服や職歴や、学歴、住んでいる場所、持っているブランド品なんかが、全く意味を持たない。
人と会うときに、見ているのは、ただ目の前にいる1人の人間だ。
かなり魂に近いところで人と接している。
ただ自分のままでいい。
流行りの情報を収集したり写真や動画を撮ってSNSで発信することは重要ではない。外に見せる自分より、自分がどう生きているかを自分に問うこと。自分で自分をしあわせにしている人が尊敬される。
そしてそのしあわせが溢れてしまって人に伝わる。
しあわせが溢れている人ばかりが集まるとしあわせは余る。
東京では人に会うときに、特に仕事の場合は、この人にはどんなメリットがあるか、と考える。
島では今、目の前にいる人に対して自分は何ができるか、と考える。
未来のためにできること、は特別な何かをすることではなく、自分をしあわせにするにはどうしたらいいか、日々、魂を喜ばせるには何をしたらいいか、を考えることではないかと思う。
自分で自分をしあわせにできたら、後は、give&give の世界が待っている。