1cmの工夫で世界が変わった子の話 【指導記録#05】
ケアレスミス。
それを如何にして減らしていくかということは指導者の私にとっても悩みのタネです。
そして誰しもケアレスミスによって悔しい思いをした経験があることでしょう。
なんとかしてミスを減らしたいと考えるわけですが、ケアレスミスを減らすための練習というのはとかくつまらないものになりがちです。
その忌まわしきケアレスミスが本当にちょっとしたアドバイスで無くなってしまった生徒がいました。
その生徒をEさんとしておきましょう。Eさんは当時中学3年生の女の子で、地域でも上位の進学校である私立の中高一貫校に通っていました。
ただ、成績が芳しくなく、このままだとその中学からエスカレーター的に進めるはずの高校に進めないかもしれないという状況でした。
私がEさんを指導していたのはキャリア1年目。現在一緒に塾を運営しているM君や、noteの記事でも書いたA君の指導をしている時期と重なります。
A君の話はこちら↓
キャリア駆け出しの頃で、将来的に教育業界で仕事をすることも考えていなかった時期でしたが、A君の指導と同じように、私の中での指導者というものの捉え方が変わったきっかけの一つがEさんの指導でした。
成績が芳しくないというものの、Eさんは上位の進学校に通っているだけあって、理解力には全く問題がありませんでした。
ただそれがいざ問題を解かせてみると……
とにかく英語・数学ともにミスが出まくる。
そのミスのほとんどが理解不足のミスではなく、ケアレスミスだったように思います。英語ではスペルミス、数学では計算ミスはもちろん、途中式を書き損じるミスも見られたり。
原因は何だろうなあ……と思ってEさんが問題を解く様子を観察してみました。手元ではなく本人の解く姿、そして目線を観察してみたのです。
すると謎が解けたような気がしました。
「目線をずらしてみよう。」
細かくは覚えていませんが、そんなアドバイスをしました。
より詳しく説明すると、問題を解く時のEさんの目線が、ペン先に対して右に進みすぎているように見えたのです。
要するに、自分の書いている文字を全く目にすることなく、先に先に目が進んでしまっていたのでしょう。
英語にしても数学にしても、右に書き進めるという点は同じです。そのために同じようなケアレスミスが多発していたのではないかと考えました。
そこで、解決策として、「ペン先の少し左を見ながら書いてみよう。」とアドバイスしてみました。
自分が直前に書いた文字を見ながら書き進めるイメージです。
些細なことではあるものの、習慣的にやっていたことを変えるわけですから、少し難しいことかもなと思いましたが、Eさんはそのアドバイス通りに解いてみたところ、あれだけ大量に発生していたミスがほとんど無くなったのです。
ほんの1cm程度目線をずらしただけで。
実はこの書き方、ペン先の少し左を見るという書き方は、学生時代の私自身が知らず知らずのうちに身につけていたことなのです。多分中学生くらいからだと思います。
自分では意識していませんでしたが、Eさん以外にも多くの生徒が同じように目線を右に右に送っているのを見て、「ああ、自分は左見てるわ」と気づかされたのです。
たしかに中学生以降の私は即座に自分の書き損じに気づくことができていたので、小学生時代と比べると劇的に注意力がアップし、取るべき点数を手堅く取れるようになっていました。
恐らくその頃から目線が変わったというか、慌てずに書き進めるメンタルが備わり、行動が変わったのだと思います。
Eさんの指導を通して、指導者は「気づかせ屋」であるということに気づかされました。単に勉強内容の説明をしたり、コツを伝えるだけでなく。
Eさんの指導では目線を気づかせたわけですが、そのような些細なことから私の「気づかせ屋」はスタートし、キャリアを積むごとに、「受験とは」「勉強とは」「人生とは」「人間とは」「世の中とは」などといった具合に、生徒に気づかせる領域は広がっています。
この「気づかせ屋」という言い回しは、今年2月にお亡くなりになられた野球界のレジェンド、野村克也さんが使われていたものです。「監督業とは気づかせ屋である」と。
ご存知の方も多いとは思いますが、野村さんは人を育てるための数多くの名言を残しておられます。そのどれもが指導者の端くれである私にとっても共感すべきものばかりです。
野村さんのおっしゃる「気づかせ屋」という言葉の真意は、選手に自分で考えるためのヒントを与えて、自分で気づかせることが目的だったようです。
たしかに、野球の道をある程度極めたプロの選手であれば、自分で気づいていくことが重要なのは言うまでもないことですし、またそれができるだけの経験を積んでいます。
しかし、私が指導する子供達というのは未熟な存在です。受験という大きな壁を乗り越えようにも、成長が追いついていないような子も少なくありません。
なので、私が用いる「気づかせ屋」というフレーズは、野村さんのおっしゃる意味に加えて、「より直接的な原因を生徒本人もしくは親御さんに気づかせる」という意味も含んでいます。
もし時間的に余裕がある場合、また時間をかける必要のある部分に関しては、生徒自ら気づけるようにする仕掛けを作ることもあります。
ただ、多くの場合は次の段階にスムーズに進むために問題となっている部分の直接的な原因を伝えることになります。そして以後自らそのような問題点を解決していけるように、何気ない細かい部分にも気を配ることや、何事にも原因があること、そしてそれを考えようとすることの大切さを伝えるようにしています。
本来得られるはずの成果が得られないとき、その原因となっている問題点は長年のクセで身についてしまっていることが多いはずです。Eさんの目線もそうです。
お医者さんは処方箋を出すだけでなく、生活習慣の改善策をアドバイスしてくれますよね。私も指導者として、ちょっとした頭の使い方や生活習慣についてのアドバイスをします。
そしてお医者さんの出す処方箋は、私にとっては生徒に課す宿題ということになります。
私が生徒に課す宿題は、同業者のそれと比べると非常に少ない量です。それでも薬と同様、いっぺんに服用することのないよう、多くの場合は宿題も日割りで出しています。「毎日やることで効果が出るからね。」と声をかけて。
かくしてEさんの成績は改善し、私は無事に務めを果たせたわけですが、今思えば、ある意味運が良かったんだなとも思わされます。
というのも、この子がクセを直せたのはそこに注意を向ける能力があったから、自分のクセを直そうという意識があったからです。
実際、長年指導を続けていると、そういう意識が薄い子も多く、その場合はクセを直すのにかなり時間がかかります。場合によっては年単位で。
そのような子の意識を変えさせるためには、言葉だけではなかなか難しいところがあります。そこでその意識を変えるための具体的な行動をこちらで考えて、本人に実践させてみると効果があったりします。
行動が変われば意識も後から変わってくる。そういう対処法もあるのではないかと私は考えています。一見逆のように思えますよね。たしかに「意識が変わると行動が変わる」というのが定説です。
ただ、「意識が変わる」というのが難しいことなのです。私からアドバイスされたにしても、日々それを自ら意識を変えて行動を変えられるのは、Eさんのように自分の意識をコントロールできる子です。
自分で意識をコントロールするのが難しそうな子は、行動から変え、知らず知らずのうちに意識を持たせるようにするのが良いのではないかと思います。
最近指導した生徒のために編み出した策を一つ紹介すると、「本当に?」というフレーズがあります。
算数においてケアレスミスが多発していた生徒に向けて授けた策なのですが、その生徒に限らず、一つの問題を解き終えた後、すぐに次の問題に行こうとする子は非常に多いです。
しっかりと検算をしろというわけではなく、少なくともあり得ない解答を書いてミスするのだけは防ぎたいのです。
例えば図形の長さや角度なんかは求めた答えと問題の図を照らし合わせてみれば、何となくそれっぽい大きさの数かどうかわかるはずです。
文章題でみかん1個の金額が800円とかになったら怪しいですよね。
そんなとき、問題を解き終えて解答を書く前に、「本当に?」と自問自答するわけです。すぐに次に進まず、一旦立ち止まるためのフレーズを頭の中で唱える。それだけでも後で考えると勿体無いようなミスは随分と減らせるのではないかと思います。
勉強において何か問題点があるとき、指導者が「では日々こういう課題に取り組ませよう」などと、すぐに勉強量を増やして解決を図ることはよくあることなのではないかと思います。
私の場合はいくつか問題を解かせながらじっくり原因を探すようにしてきました。なんとなくでも原因がつかめてから本格的に指導が加速していくイメージです。
それは問題点は一見同じでも、生徒によって原因は異なることがほとんどだからです。単純な原因もあれば、指導が進むにつれてようやくわかってくるような、遠因と言っても良いようなものもあります。
どんな問題点をとっても対処法は人それぞれ。それを見極めるためにはその生徒特有の原因を探る必要があります。
Eさんの場合はもともと本人が持っていた力のおかげですぐにクセを修正できました。ある種の即効性があったわけですが、私の指導は治療で例えると東洋医学的だと思います。根本治療を心掛けたらたまたま即効性があったとでも言いましょうか。
病気に対して即効性のある直接的なアプローチをする西洋医学。時間をかけた根本治療をする東洋医学。もちろんどちらにも良さがあり、優劣を述べたいわけではありません。
私自身の指導においても、ケースバイケースでいずれの方法論も使い分けてはいますが、塾や家庭教師などの業界全体を見渡してみて、客観的に判断すると、私の指導哲学はやはり東洋医学寄りなんだろうなと思います。
少し時間がかかったとしても、ゆくゆくは自分で修正できるようにアドバイスし、自分自身の工夫で成長していけるように導く。
「東洋医学的気づかせ屋」への道はこれからも続きます。
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