中学受験指導のために初めてうかがったお宅で「実は受験をやめることにしました」と言われた話 【指導記録#02】
今回話題にする生徒、B君との出会いは十年近く前になります。今後二度と無いであろう、かなりイレギュラーな始まり方をした指導のケースです。
中学受験指導は基本的に1月いっぱいで終了します。塾や家庭教師といった小学生相手の教育業界では2月から新年度となるわけですが、家庭教師専業だった当時の私も指導する生徒の入れ替わりが最も多いのは2月になります。
今回の主役となるB君もこれから小6になる中学受験生ということで指導の依頼を受け、初の顔合わせのためにB君のお宅に伺うことになりました。
顔合わせということで、いつものように少し緊張しながら玄関で自己紹介をし、その後リビングルームに通されたのですが、ソファーに座ろうとしたところで驚きの一言が。
お母さん「せっかくおいでいただいて申し訳ないのですが…、実は昨日家族会議をして、受験をやめることにしました。」
私「へ!?」「え?!」
一呼吸して落ち着きを取り戻し、
私「とりあえずお話を伺いましょう。」
ということで面談スタート。
話を聞いてみると、通っている塾の管理が厳しく、拘束時間も長いため、生徒本人がもう受験が嫌になったとのこと。ここからは推測ですが、それで家庭教師を頼んだものの、どんな先生が来るかもわからないわけですから、顔合わせ前日になって怖くなったのかなと。それで家族会議になって受験をやめるという決断に至ったと。
そんな話を聞いて、私が伝えたのは以下のようなこと。
・受験をやめるという決断を無理に覆そうとは思わない
・私の指導で中学受験をする場合、想像しているような大変な受験勉強にはならない
・塾をやめても大丈夫
・せっかくこれまでいろんなことを我慢して積み上げたものがあるなら、それを無駄にするのも勿体無い
・世間で思われているような猛勉強をしなくてもそれなりの結果は出せる
・楽をさせるわけではないが、これまでよりは勉強の負担を大幅に減らす
・少しだけ頑張ればできる程度のことを継続していくことで、必ず大きな成果が得られる
こちらとしては別の生徒の依頼もあるのでB君を指導することに執着する必要もなかったのかもしれませんが、何かの縁で一度出会ってしまったからには、何とかこれまでの努力を形にしてあげたいなという気持ちが芽生えてきます。
まだ出会ったことのない新たなご家庭よりは、目の前のご家庭が大事に思えてしまうのは当然のことで。
そこで、これまで私が指導してきた生徒達の実績やどんな勉強をしていたかなどを話しているとお母さんも徐々に気持ちが前向きになり、それから生徒本人を呼んで、少しだけ話をした記憶があります。
すると、本人からも「やってみる」という答えが。
そして無事に指導がスタートしました。授業以外の時間は気分的にムラがあるようでしたが、授業中は特に問題なく授業を受けてくれました。
秋頃、私の授業前にお母さんと喧嘩をして家を飛び出してしまって、私が到着してからも帰って来ず、そのままその日の授業がキャンセルになったことはありましたが。笑
成績も夏までは順調に伸び、その後いくらか停滞した時期があったものの、始まり方があんな感じだったので、続けられているだけ良しとしていました。年明けからスパートをかけようと考えつつ。
首都圏における中学受験は1月上旬に茨城、埼玉、1月下旬に千葉の学校の試験が始まります。そして東京と神奈川の入試が2月1日に始まり6日までに大半の学校の試験が終了します。
埼玉や千葉の学校に通う可能性があるのであれば、冬休みが始まったタイミングでスパートをかけたいところなのですが、B君の住んでいる地域的に埼玉や千葉の学校は通いづらいため、年明けからスパートをかけても大丈夫だろうという計算でした。
もちろん彼の性格的にロングスパートは難しいだろうということで、ギリギリまでスパートをかけるタイミングを遅らせていたというのもあります。
しかしそこで計算外のアクシデントが。
年明け1月3日から指導の予定を入れており、この日にラストスパート宣言をしようと思っていたのですが、その前日の夜、B君が盲腸になったとのこと。
これはさすがに計算外でした。幸い重症化することなく手術を終えて退院できたものの、少し回復の時間も与える必要があったので、年明け最初の指導は1月7日。
第1志望の学校に合格するにはもともと力量的に難しかった状況だったのですが、ここにきてさらに難しい状況となりました。
練習がてらに受けた埼玉の学校は無事に合格できたものの、本命校よりも偏差値的には低い千葉の学校は不合格。不安を残したまま2月の本番に突入します。
2月の中学受験は連戦なので、受験が始まってしまうと指導にうかがうことはほとんど無く、電話やメールで連絡を取り合うことになります。
この年の指導は他にも中学受験生が二人いて、三人ともかなり指導に苦労した部分がありました。苦労した部分は三者三様でしたが、1月31日の指導を終えた時点で私の体は悲鳴をあげ、2月1日、2日は寝込んでいました。
ちなみに1月31日の夕方にB君の指導を終えた時点で、その年の中学受験対策は一区切り。そのことを体がわかっているのか、B君の指導が終わった途端、くしゃみと鼻水が止まらなくなりました。
その日の夜は5年生の生徒の指導があったのですが、授業中ずっとティッシュを手放せず。帰りの電車の中でも目と鼻はグチャグチャで、駅から自宅までは体が先に行こうとしても足がついて来ない、そんな悲惨な状態で家にたどり着きました。
これが「ほうほうのてい(這う這うの体)」ってやつか……。などと感じながらその日はそのまま眠りについた気がします。
話が飛びましたが、いよいよ入試スタート。2月1日は午前に第2志望レベルの学校、午後にそこから近い滑り止めの学校を出願していました。
が、その日の夜に連絡が来て、午後の学校は本人が急に嫌がって受験しなかったとのこと。まあ2日の学校が本命だし、体力温存のためにはそれもアリかという話をしました。
そして2日の本命の学校を受験し、翌日3日の発表後に最大のアクシデントが。
不合格という結果は本人の力量的にこちらも覚悟していましたが、夜にお母さんからそれ以上に厳しい内容のメールが届きました。
B君が部屋から出て来ない、そしてもう受験には行かないと完全にふさぎ込んでしまったらしいのです。
不合格でショックを受けることは誰にでもあることなので、こちらも受験期終盤の授業では、どんな結果でも最後まで受けきることだけは約束させます。
そういう約束をしていても、生徒によっては第1志望校の不合格で自暴自棄になってしまうことはたまにあります。ただ、そういうケースでも第2志望レベルに受かっていればまだ救いはあるのですが、B君の場合は埼玉の滑り止め校の合格しかなく、そちらの学校も行く意思は無いので入学金は払い込んでいませんでした。
その時点で試験が残っていた学校は翌日4日の第2志望レベルの学校と、5日の滑り止めよりちょっと上くらいの学校。
ただ、5日の学校は出題傾向的にあまりB君と相性が良くなく、私としては4日の学校の試験が大勝負だと当初から考えていました。学校のレベル的には少し難しいけど、問題との相性が良いように感じていたので。
そこでこの状況です。とにかく最後のメッセージを送るしかないなと思い、B君に読んでもらうようお母さんの携帯電話に長文のメールを送りました。私は3日の夜も体調が思わしくなかったので、ベッドの中からメールを送ったのを今でも良く覚えています。
B君に送ったメッセージの細かい部分はさすがに覚えていませんが、
「明日試験に行った後に見える景色は違うぞ」
そんなメッセージは確かに送りました。試験に行かずに家で過ごしていた場合、もし試験に行ってたら……なんてことを考えて一日が過ぎていくはずです。そして少なからず後悔の念を抱くことでしょう。
さらに「合格不合格はさておき、せっかく頑張って来たこの一年、一度諦めかけたけど何とかここまでたどり着いた中学受験の締めくくりがこんなんだったら悔いが残るんじゃないか?」的なこともメールに綴ったと思います。
私にできるのはここまでなので、彼の心変わりを祈りつつ、翌日を迎えました。もし試験に行っていたら発表は当日で、夕方頃には結果の連絡が来るはず。
その日は新たに指導する生徒宅での顔合わせを終え、夕方は家庭教師の派遣会社で月例報告をしていました。そして会社の旧知の社員の方とその年の受験の総括をしていると
「合格しました」
というメールが。その知らせを見た私は思わずオフィスで「わーっ!!!」と取り乱してしまいました。あんまりそういうキャラでもないんですが。
会社での用事を済ませ、すぐにB君のお宅に電話してみました。
B君は照れくさそうにしつつも、喜びは伝わって来る口ぶりでした。私も本当におめでとうと伝えつつ、「行って良かっただろ?」と少し意地悪な感じで聞いた記憶があります。
でもその「行って良かっただろ?」というのは結果が良かったからというわけではありません。あの精神状態からちゃんと立て直して受験に行けたことの方を褒めたかったのです。
もちろん合格という結果は私にとっても素直に嬉しかったですし、頑張った彼に目に見える形でご褒美があったことは、後から考えても本当に良かったと思います。
彼の指導を振り返ってみて、彼の行動の傾向を分析すると、「突発的に後ろ向きの決断をしてしまう」ところがあるんだろうと思います。
受験をやめようとしたこと、お母さんと喧嘩して家から出て行ってしまったこと、滑り止めの学校の受験を急遽やめてしまったこと、そして最後の出来事も。
ただ、中学受験は成長途上の子供の戦いです。まだまだ未熟な部分があって当然です。様々な困難を乗り越えながら、またうまくいかないことを味わいながら、最終的にその先に役立つ「何か」を手に入れることができれば、中学受験における収穫はあったと考えられます。
B君も特に年明けからは本当に色々なことがありましたが、受験をやめると決めたところから再スタートしたことを考えると、一年間良く頑張ったなというのが正直な感想です。
本人にやる気があった上でこちらの指導を始める場合は、受験勉強が初めてでもゼロからのスタートということになりますが、B君はある意味マイナスからのスタートとも言えます。
彼はそれまで塾に行っていた分、知識としてはゼロからのスタートではないものの、少なくとも気持ちのベクトルは受験とは真逆の方向に向いていたはずです。
私が面談に来る前日に受験をやめる決心をし、本人的には受験とオサラバして遊ぶ気満々だったかもしれません。
それなのにそれを邪魔する大人が現れた。前より楽になるとはいえ、また受験という激流に戻されるというのは気持ち的に大変だったことでしょう。
ただ、ちょっと私と話をしただけですぐにまた受験することを決めてくれたように、これまでの苦労などを自分なりに一晩考えて、家族会議で受験をやめる決断をしたことに、ちょっと引っかかるものがあったのではないかと思います。
その引っかかりに対して協力してくれそうな大人に出会えたから、またやってみようという気になったのかなと思えるのです。
第1志望校に不合格となり、いったん心が折れたにも関わらず、私からのメールを読んで受験しに行ったことから考えると、受験に行かないと口にはしたものの、やはり彼の中に引っかかるものがあったのでしょう。
中学受験をやめると決めた一年前も、一晩経って心が落ち着いた後に後ろ向きの決断を翻し、最後まで受験勉強を続けてくることができたという事実。そのことが後押しになって、また後ろ向きの決断を翻してみたのかもしれません。
そして志望順位の高い学校への合格を手に入れることができた。この経験が、後の彼の支えになってくれたらと願うばかりです。
本当の決断は良く考えてからするものであるということ。自分の努力を無駄にするような決断をしないこと。そして逃げずに立ち向かってみれば何かを手に入れられるということ。
そんなことを彼はこの受験で学んだのではないでしょうか。
もちろん私も彼の指導を通してたくさんのものを手に入れました。
生徒達の目の前に立ちはだかる一つひとつの壁の意味を学ばせ、乗り越えていく生徒達の姿を見て私自身も学んでいく。その繰り返しで私自身も指導者として成長してくることができたのだと思います。
「明日試験に行った後に見える景色は違うぞ」とは私が彼に対して送った言葉でしたが、私自身あの日の景色、会社の外で電話をしながら目に差し込んで来た夕日の色合いは今でも鮮明に覚えています。
ちょうどこの記事の見出し画像のような色合いでした。いつもと同じ夕日でもあの日の夕日は全く違うように見えました。
私の方もB君にいつもと違う景色を見せてもらったということなんでしょうね。
時代の変化とともに私の仕事のスタンスも変わっていくと思いますが、このような景色を生徒や親御さんと共有できるよう、これからも精進していこうと思います。