加藤豪と矢田滋の、美術展を見ての往復書簡

工藤哲巳について (1)


2020/1/7

K「マイク・ケリーの工藤哲巳についての文章は、矢田さんは読んだことがありますか?」

Y「はい。アメリカのウォーカーアートセンターでの工藤の回顧展カタログに、ケリーが彼とボイスに影響を受けたと書いた文章が掲載されていたので買いました[1]。」

[追記1] TETSUMI KUDO Garden of Metamorphosis Walker Art Center (2009)のこと。

K「マイク・ケリーがボイスにも影響を受けたと語っていたとは。それは驚きというか、新鮮さがありますね。実は、私自身も、20歳代以後、工藤さんと学生時代に出会う前に、ボイスがかなり好きでした。特にドローイングが。何冊か洋書で、画集を持っていましたね。しかし、わりと近年なのですが、平板に見えてきて、私が絵画画面の「奥行き」ということに主に関心を絞るようになって以後。」

Y「ドローイング含むインスタレーションを最近カスヤの森現代美術館でみて、結構面白いと思いました。」

K「なにか、流動的なところで錬金術みたいなことが起こっているように見えるところが、魅力的に感じていたんですよね。」

Y「あとコヨーテといっしょにいるパフォーマンスが気になります。飼い犬って、放っておいても人工的な石の地面に眠る習性があるという考え方が西洋にあるみたいですが[2]、あえて野生側によせてそれを思い出させているみたいな感じで。まあ詳しく背景をしらべたことがないので、勝手な想像ですが。」

[追記2] ギリシャの初期自然哲学者エンペドクレスが、なぜ犬が同じ煉瓦に寝ているのかと人から尋ねられて、その犬が煉瓦と同じ性質をもっているからそこに惹きつけられるからだと答えたエピソードを、アリストテレスが『大道徳学』などに書いて現在に伝わっている。情報化社会の人間の意志決定パターンについて研究しているナシム・ニコラス・タレブは、『反脆弱』(2012年)などで、この伝説に西洋的な推論技術(ヒューリスティックス)の原点をみている。タレブは、確立論的分析を用いて、こうしたゆるく古臭い経験的推論を軽んじない技術や知見こそが歴史を超えて生き残ってきたと主張する。ボイスは、コヨーテと同じ檻に入ったり、動物の要素と人工的な展示空間の組み合わせでこうした話を引き合いに出しているのではないか。

K「コヨーテのは、ボイスがアメリカに行った時のパフォーマンスだったでしょうか。」

Y「そうです、アメリカに行ったときのものだと思います。」

「ボイスって80年代ころにかなり人気はあったというイメージです。村上隆『意味の無意味の意味』という論文[3]でも出てきます。」

[追記3] 『美術における「意味の無意味の意味」をめぐって』 村上隆(1993年)。手元にないので読んだ記憶であるが、未完成な断片的なものを定期的に提示する情報アートの手法で、文学的な意味をこえた物語(神話)を提示し観客を巻き込む手法をボイスがつくりだしたと村上が評価していたと思う。

K「そうですね。長谷川祐子さんが大学院時代に、80年代半ば、ボイスが来日していて、影響を受けたことを、後に確か語っていますね。そうですか。村上隆さんの(修論?)『意味の無意味の意味』にも出てくるんですか、ボイスが。ところで、マイク・ケリーは、矢田さんから見てボイスの影響の痕跡は、どこか感じますか?」

Y「本人がいっているのは、日常性とアーティストであるという意識との関係です。ボイスや工藤が日用品を展示したり、それを使ってパフォーマンスするのに、彼ら自身はフォーマルな格好をしている(フルクサスみたいな、ごく普通の人という自己演出の逆である)というややこしさに注目しています。後個人的に思うのは、さっきのコヨーテのパフォーマンスがそうだと思うんですが、演劇性というか見せ物的な文脈でインスタレーション自体の歴史的な層も見せるという多重性だと思います。ケリーの場合、カタログ等にある情報だよりではあるのですが、初期のころはその考え方が強くあると思います。たとえば、その場を共有しているものといっしょに、部屋の「見立て」をどうとらえるのか、ということですね。」

K「工藤さん自身も(1960年頃の読売アンデパンダンの自身の出品作等への言及で)、「日曜品」の使用については語っていますよね。「美術作品において、タワシやビニールチューブの使用と、例えばダイヤモンドの使用は等価だ」というような。」

Y「読売アンデパンダンで特に過激に日用品の持ち込みをやったと説明されることが多いですね。そういう議論というか、スタンスがケリーに影響があったのですかね。」

「ケリーの工藤に対する見立てはかなり限定的で、読み直してみる必要もあるのですが、例えば『あなたの肖像』という作品にみずから入り込んでいる工藤の姿が鮮やかなグリーンの背広であることに注目して話を広げています。個人的にはなんか、その姿が爆風スランプとか電撃ネットワークを思い起こす写真ですが。」

矢田・参照ページ1。(ページ中、6/19) https://walkerart.org/press-releases/2008/walker-art-center-to-premiere-the-late-japane

K「これは、美術館が再制作(パフォーマンスの再現?)したものではないですか。日本の美術館が工藤哲巳展をやると、見世物小屋みたいになるんですけど、ヨーロッパでの私が見た展示は、もっと突き放した感じで見やすいです。見世物小屋的な要素は、工藤哲巳自身が意識して持っているものだと思うので、主に海外で制作されたものを日本に持ってくると、そのように二重化されるということでしょうか。」

Y「そうですね。二重化されて、結果としてドライさが失われてベタになっている気がします。同じ写真で、『私の肖像』(1966年)のクレジットしかカタログで確認できないですが、いつかの時に再制作して当時を再現する風に箱のなかに入った写真なのかもしれません。」

「あー、なるほど、カタログの後ろの方に、1965年にフランスで撮られた同名パフォーマンスの白黒写真がありました。カラーのこの写真は同じアングルで再現したものですね。〔4〕」

〔追記4〕 会話中、私(矢田)はこの写真が、再現作品であるにせよ作者本人が入って撮られたものだと思っていたが、加藤氏から会話終了後、同じものを工藤氏逝去後の90年代に国立国際美術館で見たときに、中に作者を象った人形が入っていたという事実を教えられた。

K「そうそう、乾燥しているんですよ。私が行ったのは’91年の夏で、アムステルダム、ステデリック・ミュージアムでの工藤作品の展示は、思い出すと私には客観的に見やすいものでした。新聞に、日本の美術作家では、没後1年で海外で回顧展が開催されるのは初めてだという紹介記事を私は読んで、それで私は見に行ったのです。ハーグの美術館との、巡回展という紹介記事。」

Y「パリを拠点にずっと活動していたからなのか、ヨーロッパでの注目度がとくに高いアーティストなのですよね。アメリカでの注目はその余波なのかもしれません。」

K「ヨーロッパですよね。パリが中心、そしてオランダ、ドイツと。」

Y「アメリカ西海岸のバッドテイスト系は、ヨーロッパのがコレクターつくのが早いし、反ニューヨークの文脈で工藤とケリーがつながるのかもですね。オランダの美術館はケリーの死後の回顧展もやっていますね。『不気味なもの』というケリーのキュレーター的な展示もたしかオランダでした。」

K「なるほどそういう文脈がありますか。そうですね。ケリーの回顧展もオランダ、ステデリック・ミュージアムですね。工藤のオランダでの回顧展は、工藤の主なコレクターだったフリッツ・べヒトが大きく関わっていると思います。」

Y「そうなんですか。全然詳しくないんですが、日本人の戦後作ったアートをだれがコレクションしているか、ということも考えるといろいろ見えてきそうです。」

「ニューヨークに化粧品のマックスファクターの社長が作ったノイエ・ギャラリーというのがありますが、ここは世紀末ウィーンと戦間期ドイツ絵画ばっかりコレクションしていました。おそらくユダヤ系コレクターの歴史と関心を再現しようとしているのですね。オランダの人のコレクションとか展覧会のチョイスもなにか歴史的な背景がありそうに思います。」

K「工藤作品は、私の知識では、オランダのベヒトが主要なものを多く持っていて、渡欧後の’62年以後のものですね。それから多分、それ以前の読売アンデパンダン時の、渡欧と同時に持ち込んだもの(おそらく『インポ分布図』等)。それから、フランスの工藤のコレクターだったポンピドゥですね。べヒトは特にヨーロッパで制作された、大型の立体作品を多く持っていたと思います。」

Y「ポンピドゥは、アメリカ人以外のコンテンポラリーアートをなるべく多めに集めようとしている印象はあります。」


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