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杉原千畝(スギハラチウネ)の顕彰碑(イスラエルのホロコースト追悼記念館「ヤド・ヴァシェム」をエルサレムまで行き体感

こんにちわ。

@osamu036110です。

約4年前にイスラエルのエルサレムへ一人で行ってきました。

日本からトルコのイスタンブール空港まで13時間ぐらいで行き、乗り換えてからイスラエルのベン・グリオン空港まで2時間ぐらいの行程です。

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通常パスポートにスタンプをしますが、イランなどへ入国する時に、イスラエルのスタンプがあると入れないので、このような小さいチケットが出入国時に渡される

命のビザ

日本のシンドラーこと、杉浦千畝(スギウラチウネ)さん。

イスラエルへの旅の一つに、シンプルに杉原さんのために植樹されている木を見に行きたかったことがあります。単純に行って見てみたいと思って。

映画や書籍などで杉原さんが、どういうことをしたのか、細かく知ることができます。

現在でも、多くの人々が、戦時中に杉浦さんのとった勇気ある行動に感銘を受け、戦後70年以上が過ぎても、彼の功績を称え伝え続けられているのはすごいし、エルサレムにあるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)追悼記念館には、日本人唯一の記念植樹がされている。それを、見になぜか行きたくなったんです。

(そこの記念館外にある庭には、たくさんの国々の名前が入った追悼記念の植樹があり、その中に丁寧に杉原さんの木も残されていました)

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第二次世界大戦時中のリトアニア駐日本総領事館にいた杉浦千畝さん。

ユダヤ人難民に対して、日本国の立場とし、してはいけないビザを発給して、6000人のユダヤ人の命を助けたと言われている。

もちろん、日本とドイツの同盟国上、外務省からはもちろんビザをユダヤ人に発行することはしてはいけなかったにもかかわらず、「命のビザ」をユダヤ人難民に対して、発行し続けた人です。

杉原さんの名誉回復には、戦後46年ほどかかったと言われていて、杉原さんが、異国の地にいてとった行動は、どれほどのことをしたのかを考えさせられますし、賛否両論されたことへの意見はあるのかと思います。

詳しくは、ネットや映画でも、いろいろ興味を持って観れるので、杉原さんに対して、自分なりの見解を、見聞を深めていただければと思う。

20歳の時に沖縄へ移り住んでから、数十年が経ってから、なぜ、はるばるイスラエルのエルサレムまで行ったのか?

なぜ、杉原千畝さんに興味を持って、イスラエルまで旅をしたのか?

なぜかは、よくわからないんです、正直いうと。ただ、行きたいという感覚

イスラエルに行き、杉原さんの追悼記念植樹を見たいだけ


杉原さんがされたことを踏まえて考えるのは、かなりおこがましいんですが、杉原さんが、当時日本にいる期間が長かったら、なかなか正しい情報も入ってこないですし、自分のリアルに感じたアンテナで、自覚を持って、覚悟を持って、ユダヤ人へビザを発給するという判断を主体的にはできなかったのではと思います。

その点、当時の杉原さんは、現地でリアルなユダヤ人のひどい現状を体感していたから、第三者から得られた情報ではなく、自分自身で得た情報を踏まえていたので、自分の判断に迷いがなかったんだと思います。

杉原さんが、自身のやったことを振り返ったときに、どう感じたのか?

他の誰でもなく、最終的に自分の判断に迷いなく主体的に行動したいと、杉原さんがとった勇気ある行動を観て思いました。




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