幼少期から安心な場所だと思って育った場所は、安心な場所ではなかった
こんにちわ〜
@osamu036110です。
20歳の時に沖縄へ意を決して移住(足がけ3年)したことで、気づかなかったことが、少しずつ感じ始めた感覚を憶えている。
その当時、まだはっきりとは見えていなかったが、うっすらぼんやりと、心をうめる何かしらのワンピースのかけらを、なんとなく肌で感じて、なんとなく手探りで行動をしていったのを憶えている。
今まで、親との関係性の中で育った感覚と違い、勝手にやってる感覚。
ただ、いずれにしても、なんとなくという曖昧さは常にあった。
しかし、それからさらに20年間、わたしの心は誰とも繋がらずに、常に心の中で孤立をしていた。表面的に繋がっていても、本心での繋がりではない状態が続いていくので、自分の感情を抑圧してたと振り返る。
それが、当たり前の状態であり、心が孤立したその上に、新しく出会う人との関係構築をしようとしていた。
もちろん、それでは、人とうまく関係性を築けるわけがなかった。
それが、幼少期に過ごした親との関係が影響しているとは知る由もなかった
沖縄生活を体験したことは、私の貴重な財産になる
当時、私が思いきって沖縄に移り住んだことは、なぜだったのか?
どうして住む場所を変えたかったのか?
沖縄までいく必要がはたしてあったのか?
何となく行く方が良いのではという勝手な感覚と、まったくわからない感覚との両方が、わたしの気持ちとして交錯していた。
正直なところ、本当にちゃんとした根拠があったわけもなく、やってみた。
いろいろ後付けで、理由を考えることはあっても、最後の一歩を踏み出せたことに関しては、半々の気持ちだったので、当時の自分を褒めてあげたい。
あの沖縄での経験、あの年齢で決断して行って感じた体験は、死ぬ間際に思い出すのかなぁ〜?と、今でも、本当に沖縄に住んでいたのかなぁ〜と感じたりもする、貴重な体験だった。