人を笑わせることが得意だったけど
こんにちわ。
@osamu036110です。
「笑い」というと、プラスのイメージを持つ方がほとんどだと思います。
私は、人を笑わせることが、幼少期からかなり得意でした。自分で言うのもなんですが、かなりおもしろい存在の人だったと客観的に思います。物心ついた頃には、人を笑わせることが得意だったので、人をまとめたり、場の空気をうまく和らげたりする機会が多く、いろんな場面で活かされました。
ユーモアは、自分を見失わないための武器だ
「笑い」は、時と場合によっては、ものすごい武器となる。
例えば、アウシュビッツ強制収容所での生活を記した本、
ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」
収容所のユーモア
P71(以下、引用)
部外者にとっては、収容所暮らしで自然や芸術に接することがあったと言うだけでもすでに驚きだろうが、ユーモアすらあったといえば、もっと驚くだろう。もちろん、ユーモアの萌芽でしかなく、ほんの数秒あるいは数分しかもたないものだったが。
ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。
(引用、終了)
4年前に、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所へ旅で行ったときに、ここでの地獄の生活の中に、ユーモアと言う言葉を感じることは、至難の業でしかないというか、人間追い込まれるとどうなるかわからないものだと、12月のアウシュビッツ強制収容所の冷たい風を感じながら思ったものです。
「笑い」について、いろいろと話してきたわけですが、私の人生の中で、最近わかった事実があります。
その、「笑い」という感情、常に「笑わせる」という気持ちが、心の中に芽生えてしまう気持ち。どんな場面でも、今まで生きてきた中で、常に感じてしまうぐらいのことでした。これは、おそろしいぐらい、常に思う。
それは、わたしが知った事実では、幼少期に家族の中で常に「笑わせる」という気持ちでいたという事実です。家族の中で、なぜか強く「笑わせないといけない」という気持ちを、常に思っていということです。
例えば、みなさんが、一緒にいる家族や友達、会社の同僚を「笑わせる」ことをしたくて思っているんでしたらいいんですが、私の場合は、常に「笑わせなきゃいけない」という緊張と不安から出てくる気持ちの状態なんです。
だから、正直つらい時あり、まわりに反応しすぎてしまうクセがあります。
私にとっての「笑い」は、解釈を変えていく必要があり、なかなか周りの人には理解されないことだったので、かなり時間をかけて、あらゆる自分の情報を他者に開示して、他者を介して、自分自身に落とし込んでいく作業が必要でした。そんなに簡単に、理解できることではありませんでした。
その原因がわかってくると、「笑い」ともうまく付き合っていくことがほんとに少しずつでき、無理に笑わせなきゃいけないというのを演じる必要も、少しずつ無くなって、今にいたっています。
ですが、未だにその感情は、全く無いとは言えないのが現実です。
どうその感情と、うまく付き合っていくのかがポイントなのかと思います。