重要なのは、「何をするか」を見極める
こんにちわ。
@osamu036110です。
私が、20歳の時に沖縄で体験したことを、ピーターティールの著書
〜「ゼロ・トゥ・ワン」君はゼロから何を生み出せるか〜
を踏まえて振り返ってみたいです。
当時、沖縄へ移り住んだのは、なぜだったのか?
将来自分のなかで、何かをするときに役立つ時があるだろうと、リスクをとって旅立つ選択をしたのか、ただ単に、現状の不安から逃れるために、全く知らない地へ足を伸ばし、何かがあるだろうと選択して行動したのか?
ひとつ、今振り返って言えることは、誰の責任でもなく、すべて自分の人生自己責任なことは確かであるが、なぜ自由にそれができなかったのか?
という疑問が、常にあった。なぜ?なぜ?なぜ、そう思うのかと、、、?
これぐらいのお金があったら、知り合いが何人かできたら、周りで良いと言っているから、TVで今のトレンドになっているから、親が言っているから、いろんな理由があるにせよ、自分の判断で自己責任でやるわけです、すべて。それでも、してはいけない理由があったのが、不思議な環境でした。
ここで、ピーターティール「ゼロ・トゥ・ワン」を引用して考える。
べき乗則をどう使う?
これは、ロングテールという商品を扱う販売数量を表す指標としても呼ばれている、統計指標です。80対20の法則とも呼ばれている。
(以下、引用):「ゼロ・トゥ・ワン」 P1629
「重要なのは、【何をするか】だ。自分の得意なことにあくまでも集中すべきだし、その前にそれが将来価値をもつかどうかを真剣に考えた方がいい」
(引用、終了)
おそらく、沖縄へ移リ住む前のわたしは、自分の得意なことや好きなことが、はっきりと自分自身理解をしてはいなかったし、本当に俺のやりたいことは何だろう?と不安をかかえていた生活を送り、窮屈な環境を常に感じて生活を過ごしていた。
だから、自分の得意なことに集中するも何も、まずは、小さな一歩を踏み出さないと始まらないと感じていたのは確かです。
世の中にやってはいけないことは無いのでは?で沖縄?
(もちろん、犯罪や相手を害するようなことは、言語道断のことですが)
当時の私は、「〜してはいけない」とか、「〜しなければいけない」という気持ちが、自分の感情の中にあり、「〜したい」や「〜やってみたい」よりも、かなり強かったのは間違い無いです。
だから、それまでの環境から、よく沖縄へ足を踏み出したなと今でも思うし、確かな根拠というものがなくても、ただただ、沖縄へ行ってみたい、沖縄へ行きたかった、という自分の小さな本音を大切にした行動でした。
もしかすると、その時感じてとった行動が、自己責任だったのかと。
今思えば、そもそもの話として、そんな18〜20歳の年齢の時期に、そこまで思いつめている青年がいるのに、まわりに気づいてあげる人がいない環境なのは、かなしい現実です。
少なからず、わたしのまわりの環境には、親はもちろん、兄弟、友人、知り合いに、率直に話してみたいと思える空気感のある環境は皆無であった。
だから、誰もやっていない前例のないことをやってみよう、自分の素直に感じる「〜したい」や「〜やったらまずいかな」という、周りの目を気にしながらも、自己責任でやれる自由を選択して、沖縄行きをその時決めたのだと思う。
だから、将来価値があることを見極めてやるよりも、まずは、自分の「〜やりたい」という、どんなことでもいい、小さな一歩を大切にしていくことが、後に価値を生み出せるものになっていくのかと思う。
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