WHY?から、やってみる、行ってみる
こんにちわ。
@osamu036110です。
以前、知人を連れて、伊勢神宮へアテンドしたことがあった。
私は、伊勢神宮へ行くのが好きだから、勝手に予定を立てて、思い立ったら行くが、ただ参拝をしに行くというよりは、参拝以外の楽しみもある。
一緒に行った知人に聞くと、伊勢神宮へ行く理由は、よこしまな感じ。
「良いと聞いてるが、行ったことが無いからとりあえず行ってみたい」
「運気が上げるにはどこに行けばいいかわからない」
「どういう参拝をすればご利益があるのか」
「何を持っていけばいいのか」
「何となく良さそうだけど、伊勢神宮には何があるの」
知人は、会社の社長をしていて、伊勢に行くと会社の売り上げも良くなり、人生ハッピーになるという感じのニュアンスを持ってるのではと感じた。
きっかけは、何でも良いと思うが、なぜWHY?行きたいかは重要かと。
私の場合、自分の「したい」という気持ちの奥底に、本物、本質、本当を見て見たいという願望が、なぜか強くあることを、最近改めて認識した。
これは、友人のコーチとの対話、両親との対話を自己開示を踏まえて、2ヶ月間することを経て気づいたことでした。
それが、自分を知るきっかけになる。シンプルにおもしろい。
自分の言動に意味付けをする作業を、誰かを交えて行うと、気づかなかった自分を深く識るきっかけになる。
興味深かったのが、普段食べているもの、着ているもの、見ているドラマなども、そういう視点で判断する私がいて、それは、何故なんだを繰り返しやってみると、思いもしない自分の本性、見たくない自分も見えてくる。
好きなものは勝手に続いている
ちなみに、知人をアテンドした時は、伊勢神宮への「旅のしおり」まで作ってあげていた。そんなことをするタイプでもないのに、好きなことだと、普段やらないことも、やったほうがいいよなと勝手に思ってやっている。
なんとなくやるよりは、なぜそれをするのか?、なぜそこへ行くのか?