ふたをしている臭いもの
こんにちわ。
@osamu036110です。
見ないようにしている自分、なかなか見れない自分、あると思います。
また、気づかないようにしている自分に、ふたを無意識にしていたり。
そもそも、自分で自分のなかにふたをする必要があるのか?
長年の間違った解釈
すべてにおいて、他人を気にしなければ、ふたをする必要はない。
気づかないうちに、ふたをする言動があたり前になっていたりする。
自分にとって、思い込みでふたしてることが、自分の不安や悩みの根本原因のきっかけにあったりする。ムリに、いつもふたをしてしまう。
また、その原因ができたのも、最初は誰かからの影響でなったことが、次第に、自分には不都合になり、勝手に悪く思い込んで、ふたをすぐにする。
しかし、自分の意のままの言動、良かった体験があれば、それを続けてやっていきたいと素直に思うのに、ふたをしようとするのはおかしい。
さらけ出す
要は、ふたをしても、ふたをしなくても、どっちでもよい。
ただ、ふたをしないで、さらけ出せる相手がいるだけで、何か変化の大きなきっかけにはなる。変に窮屈な状態から、開放されて意のままに過ごす。
自分の素直な気持ちでいる。もっと楽にすごす。ふたをしない。
自分の勝手な思い込みが、自分で自分のくびをしめていることに気づく。
さらけ出しても、おそらく、まわりはとくに何も変わらないと思う。
結局、変わるのは自分だけ、後で気づくのはもったいない。