見出し画像

幼い時観ていたTVは偽りの安心だった

こんにちわ。

@osamu036110です。

わたしは、幼いときから、いつも家に帰ると誰もいなかった。

だから、親がいつもの場所に鍵を隠して、会社へ行っていた。

わたしは、カギっ子だったわけです。

だから、家に帰ると誰もいないので、そのまま外へ遊びに行ったり、友達の家に行ったり、家でTVを観て過ごしたりしていた。

母親が家に帰ってきても、兄が家に帰ってきても、父親が家に帰ってきても、何か特別今日会ったことをワクワク家族に話したりした記憶があまりない。

何か、しなきゃいけないという義務感の方が強かった。

むしろ、TVを観ていることが家では多く、あらゆることに想像をかきたてられて、ひたすらTVを観て、何か変な安心感を感じていた。

時代とともにTVは変わっていき、最初はリモコンもなく、TV画面についている、音量調整やチャンネル切り替えのスイッチがあるTVのタイプでした。

そこから、リモコン付きのタイプに変わって、VHSのビデオを使って録音したTVを見れるようになり、画面が徐々に大きくなり、どんどんTVが進化していったわけです。

しかし、18歳で家を出て、東京の赤坂で、住み込みで新聞配達をやり始めてから、TVの無い生活が20年以上経ち、今に至っています。

TVではなく家族との会話の時間


シンプルなことなんですが、TVを見るのではなく、家族ともっと話をする時間、家族とその日にあったことの共有をする時間、それをもっとしたかった。シンプルなんですが、今言えることはそれなんです。

今思えば、なぜ、TVを見る時間しか過ごせなかったのかがわかるんですが、すごく大切な期間に、家族との感情の共有日々の確認が薄かった。

子供が、一人でTVを見て過ごしているのは、なるべく少ない方がいい。

これは、後になって大きく自分の人生にリアルにひびいてくる時がある。

社会人になってから感じるのが、特に、家族と過ごした時間が、社会人になり、会社に入ってからも、どこかで同じような関係性を作ってしまう。

だから、幼少期の家族との時間をどう過ごすのか、親が子供とどういう関係を築くのか、なんとなく子供がTVを観て過ごしているのは回避したい。

TVを観ている時間よりも、どうでもいい家族の会話を優先に。




いいなと思ったら応援しよう!