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父親が倒れた日

今年の4月10日、元気で病気知らずの
80歳の父親が仕事帰りに
冠攣縮性狭心症で浅草駅で倒れた。
通報時は心肺停止状態で
近くにいたお医者さんが蘇生してくださり
一命は取り留めた。
が、脳に酸素が回らない時間が長かったため
寝たきりとなり、去痰のため
喉を切開したので話すこともできず、
意思疎通ができない。
目は開けることができるようになり、
何か言いたげで口を動かそうとしているのは
わかるが、読み取れるほどはわからない。
ネットで調べたが、
2~3分脳に酸素がいかなくなるだけで
障害が残るらしい。
お医者さんが蘇生措置をしてくれなかったら
即死だったと思う。
ずっとお礼を言いたかったが、
警察も病院も誰かはわからないようだ。
この場をお借りしてありがとうございます。
送り出す心の準備ができました。

倒れる5日前、写真であげている
マグカップが割れた。
しかもハート柄の真ん中から縦に。
子どもから写真が送られてきて
「水を入れても入れてもこぼれちゃうと
思ったら割れてた」と。
お母さん帰ったら片づけるから
危ないからそのままにしといて、と返した。
普段あまり使っていない古いマグカップ
だったので、
「食洗機で劣化してたのかね?
それにしてもハートが割れてるから
お父さんと離婚する前兆かね?」
と子どもと笑い話をしていた。
それが心臓を指しているとは
この時思いもしなかった。

父親は持病こそなかったが
ヘビースモーカーだった。
別居だったのでどこがどう悪いのか
知らなかったが、母親の話だと
血圧が高かったらしい。
薬も医者も嫌い、なんの根拠もないのに
「俺は90歳まで生きる」と豪語していた。
見た目は元気そのものだったので
油断していた。
父親の母(私からすると祖母)が大腸がんで
亡くなっていたので大腸内視鏡検査は
定期的に受けていた。
タバコを吸っていたので肺がんも
気をつけていたはず。
あくまで推測でしかないが、
”血圧が高かった”ということは
血管に負荷がかかっていたと思われ
それが心臓にきた、ってところだろう。

あれから約半年が過ぎた。
途中81歳の誕生日も迎えた。
週1回は病院に足を運んでいるが、
3人の子育てで毎日忙しく
ほとんど実家に帰ってなかったのに
週1回病院に行けるならもっと実家に
帰って元気なうちに会っておきたかった、
と悔やまれる。

最後に会ったのは
私たち家族と父母と弟、
珍しく全員が揃いしゃぶ葉で夕飯を食べた
のが最後だった。
私たち家族5人ですら揃うことが難しく
外食もままならない中
あの日はなぜか全員勢揃いだった。
あれも虫の知らせなのか、
神様が用意してくれた最後の時間だった。
主人は霊感があり、
この日が義父と会う最後の日だと思った、
と後から聞いた。
なんで教えてくれなかったのか聞くと
「直感だし、そんなことないよな、と
すぐ打ち消したから」と。
大きな地震が起きる前や大きな事故がある前は耳鳴りや鳥肌が立つらしいのだが、
精度が低い。

数日前病院に行った時、
倒れてから初めて満面の笑みを見た。
これもネット情報だが
寝たきりになって亡くなるまで男女共に
平均1年らしい。
床擦れも出てきた。
頑張ってほしい反面、本人はこの状態を
望んではいないだろうな、と思うと
複雑な気持ちになる。
海外には寝たきり状態はないらしい。
延命措置をしないからだ。
身体中管だらけの自力で生きられない状態は
人間としての尊厳を失っているから、
という解釈なのだろうか?
その時家族は?
どんな状態であっても生きていてほしいと
願ってしまう。
私達家族がそうであったように。
これは私達のエゴなのか?

救急搬送された後真っ先に聞かれたことは
自発呼吸できなくなった場合
人工呼吸器をつけるかつけないか、だった。
心臓は動いているのに人工呼吸器はつけない、
という選択は正に死を意味することは
気が動転していても解った。
母親・弟・私で話し合った結果
全員が「つけない」選択だった。
私達の意向とは反するが、
なにより父親本人が望んでいないことは
家族であればすぐ解った。

ICUから3週間で容体も安定したことから
住居近くに転院することになり、
次の病院でも同じことを聞かれたが
この時はニュアンスが違っていて
「自発呼吸できなくなった場合
人工呼吸器はつけません」だった。
署名もした。
選択肢はなかった。
他、発熱したら解熱剤、血圧が上がったら
降圧剤は使用します、とのこと。
もうそれで十分だな、と思った。

今の病院には本当に感謝していて
むくみが酷ければ包帯を巻いたり、
指と指の間の皮がじくじくしたら
薬を塗るだけでなく間を空けるスポンジを
入れてくれたり、
肌が乾燥したらクリームを塗ってくれたり
とてもきめ細やかに対応してくださる。
コーディネーターの方が紹介してくれた
転院先は床擦れ防止のリハビリもしてくれる
からとお薦めされたが住居から遠く
お見舞いに行くのも大変だし
最期は地元で迎えさせてあげたかった。

参考までに費用面の話も入れておくと
ICUで3週間入院した時は数十万は
かかると思い戦々恐々だった笑
看護士さんに聞いても金銭的なことは
わからないと言うし
受付に電話してもわからず、、
国立病院だったからか会計は9万円弱だった。
拍子抜けした。
ちなみに今は月13万円前後。ICUより高い。
かなりの出費だが、老人ホームに入っていると
思えばそんなもんかな、と。

あと何回会うことができるだろうか。
最期に絶対言いたい一言がある。
それは月並みだけど
「ありがとう」
これに尽きます。

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