Music Save My Life
小学校から中学校の私はKinki Kidsのファンクラブに入っていた。堂本剛と結婚すると本気で思っていた。短く切った髪のもみ上げ部分を固めて、金田一はじめを意識していた。定規もシャーペンもクリアファイルも剛くんだった。中学時代のある日、定規を無くしてしまった私は焦っていた。愛する剛くんの定規を失くしてしまったことより、「アイドルの定規を使っている人をイジる心無い誰か」の手に渡ってしまうことを恐れていた。幸い塾の隣の席の子の鞄の中に入ってしまっていたらしく、「これ自分の?」と何事もなく私の手元に帰ってきた。おかえり剛くん。
中学を卒業する頃、家で音楽専用チャンネルが見れるようになった。中学生活は塾と部活の毎日だったので高校受験が終わって時間ができた私は、毎週末朝からやってるヒットソングのチャート50をずっと見ていた。この頃から音楽に目覚めたように思う。気に入った曲を練習してカラオケに行くようになった。当時を思い出すと松浦亜弥の桃色片思いのMVがボイ〜ンの効果音と共に蘇ってくる。
高校の頃は友達の影響でDragon ashにハマり、授業中に片耳イヤホンでこっそり聞いては歌詞をノートに書き起こして浸っていた。スカや洋楽の悪そうなHipHopも教えてもらったが、そっちはあまりハマらなかった。歌うことも好きで文化祭でバンドを組んだりもしていた。
大学受験のとき、歌手を目指して専門学校に行きたかった。音大も考えたが、楽器ができなかったので受験は難しかった。学歴のある歌手は島田紳助に気に入られるかもしれん。と自分に言い聞かせて死ぬ気で受験勉強に励んだ。
大学に入って1年目はゴスペルサークルに入った。外国人みたいに歌が上手な先輩を見てびっくりした。夏の合宿では新入生が1人ずつ好きな曲をソロでアカペラで歌うという、なんとも過酷なコーナーがあった。私は自分の声質云々よりも好きな曲Hail Holy Queenを歌った。緊張で震えてしまい、声が全然出なくてテンポも取れなくて恥ずかしさと悔しさが残った。
2年目はダンスサークルに入った。憧れのブレイクダンスを始めて、ダンスミュージックやOld schoolのHipHopを聴くようになった。この頃の定番はライムスターのB-BOYイズム。学外でもバンドを組んで度々ライブもしていたが、あまりうまくいなかなった。バンド仲間にも色んな音楽を教えてもらった。中でもRADWIMPSに大ハマりして何度も何度も繰り返し聴いていた。
3年生になる頃から、クラブでシンガーとして歌うようになった。R&B全盛期でNe-Yoやリアーナが大流行。朝5時のclose前、フロアではMariah Carey - Touch My Bodyでみんながまったり揺れていた。男性シンガーが女性シンガーとfeaturingしている曲が好きで、ドキドキする歌ばかり探しては違法ダウンロードをしていた。
その頃の私は、R&Bはおしゃれ。J-popはダサい。と思い込んでいた。
大学で出会った「音楽好き」な先輩や同期はレッチリやボブディランやクラムボンなど色んなジャンルに精通していたけれど、誰もR&Bは聞いていなかった。そんな彼らを私はおしゃれだと思って憧れていたので、何故か自分の好きなR&Bを紹介することができなかった。好きな音楽を「好き」と言える彼らに憧れていたんだと今なら分かる。
大学を卒業する頃にはシンガー活動もやめて、アパレルの仕事を始めた。やっぱり(?)アパレルで働く人たちは音楽やクラブ好きの人が多かったが、周りの人の話題に上がる音楽が全然分からなかったし、クラブも別に好きじゃなかった。(行くと楽しくてめっちゃ踊る)
私はカタカナが本当に苦手で海外アーティストの名前が全然覚えられない。シンガー活動をやめてからは、あんまりR&Bも聞かなくなった。当時聞いていた曲名も見事に忘れてしまった。みんなが聞いていたから聞いていたんだな。と思った。
おしゃれな音楽の話ばっかりしているのに、カラオケではみんなが盛り上がる曲を歌える人たちに心底憧れていた。
何故か仲良くなる人は音楽が好きで音楽に詳しい人が多かった。そういう話になった時には付いていけないので聞き手にまわり、情報を収集していた。
いつからか私は音楽をあまり聞かなくなってしまっていた。
「どんな音楽が好き?」と聞かれても「何やろ〜あんまり聞かへんな〜」と答えるようになっていた。
最近の私は日本の歌手が好きで、グッとくる歌詞とメロディーで胸が苦しくなる。そして勇気をもらう。昔よく聞いていた曲を久しぶりに再生してみるとあの頃と変わらず、落ち気味の心も引き上げられた。懐かしくなって同じ頃に聞いていたR&Bやゴスペル音楽を聞いてみた。やっぱり胸がギュッとなった。あの頃の自分の記憶とリンクして、少し切ない気持ちになる。
音楽の話をすると自分が丸裸になるようでなんだか恥ずかしかったんだ。ということに気がついた。私はいつも音楽に救われていたから、ある種の宗教というか神様というか、心の拠り所だった。娯楽や趣向品ではなく、不器用な私に寄り添ってくれる共感者そのものだった。だから、それをダサいと思われたり、趣味合わないねって思われることは自分への否定に当たるような気がした。何故だがずっと自分に自信がなかったから。不思議なほど周りと話が合わなかったから。
今までの経験や出会いが私を作っているのと同じように、今まで聴いてきた音楽も今の私を作っている。きっと私だけでなく、大勢の人に寄り添い、忙しない心を救い、癒しの存在になっていると思う。音楽そのものが本当に聖書やお経に近い気がしてくる。自分を救ってくれる存在を恥じる必要はないのにそれが出来なかったのは、人の言う「かっこいい」を気にしすぎていた。私は平気な顔をして踏み絵をガンガン踏みまくっていたのだ。(実際に宗教にハマりそうになった時も、恐怖が勝って逃げた。その話はまた今度)
でもあの頃1人で何度もリピートして聴いていた曲に今も救われているのだから、自分のセンス最高やなって思ってる。いい曲仕入れてくれてありがとう。
私を構成する要素の一つに「音楽・歌うこと」は欠かせない。音楽でしか震えないパーツが心の中に確かにある。大声で歌うことで驚くほど発散できる。歌うことでしか満たされない心のパーツが確かにある。来年は何度も挫折しているギターを始めてみようかな。。。(小声)