
クミコさん「老いや弱さを拒絶せず、受け入れながら歩みたい」
時に優しく、時に甘く、ときに強靱に聴く者の心を揺さぶる歌を届けるクミコさん。その魅惑の声を維持するための努力について聞くと「特に何もありません」と笑います。がんばらず・無理をせず・年齢相応に生きるという境地にたどりついた背景を伺いました。

人間だって生き物。数字には惑わされない
「あのぉ……これ『健康』っていう雑誌ですよね? 本当に私でいいんですか? 大丈夫?」
インタビューの冒頭、困ったような表情でこう聞き返すクミコさん。その理由を聞くと、「私って基本ヘタレなんです。元気もやる気もパワーもないんですよ」と言うではありませんか。
健康維持のために何か運動していますか? という質問には、しばし考え込んだあと「あ!ウォーキングはしています!」とうれしそうなリアクション。しかし1日の歩数を尋ねると、再び困ったような表情に。
「歩数を確認したことはないですね。万歩計どころか、うちには体重計もないんです。でもね、体重計がないほうが、体形のコントロールはしやすいと思いますよ」
クミコさんが体重計を捨てた発端は、若い頃のダイエット体験だそうです。現在よりかなりぽっちゃり体形だったため、クミコさんは日々の体重と食べたものを記録する「レコーディングダイエット」を実践しました。ところが。
「1㎏減った、3㎏増えた、わぁどうしよう!って一喜一憂することがストレスでした。結局、数字なんかに惑わされてたまるかーって(笑)、体重計を処分したんです。
人間だって生き物なんだから、本来は自分にどのくらいの食料が必要なのかはわかるはず。必要なぶんだけ食べて、食べ過ぎたと思ったら控えれば、きっと健康でいられる。それでいいと割り切りました。そしたら少しずつ体重が減って、リバウンドもしていません」

ウォーキングというよりは「歩くだけ」とクミコさん。「元気があるときは散歩がてら一駅歩いたり、エスカレーターではなく階段で上ったり。駅で階段を見つけたら『ラッキー!』と思うようにしているんです」
大丈夫!みんな一緒に衰えよう
今も体重計に乗ることは一切ないそうですが、体形の管理はどうやっているのでしょう。
「お風呂に入ったときにおなかを見て、『このカーブはちょっとマズイぞ』と思ったら食べる量を見直します。そうすると、なんとな〜く、おなかのカーブは『まぁOKか』くらいの角度に戻るんです(笑)」
クミコさん流の健康管理はあくまでシンプル。でもその根底には、「生き物」としての自分への信頼感があるようです。
「老いにあらがってがんばれる人も素晴らしいんですけれど、私はきちんと衰え中です(笑)。記憶力も落ちているし、あごも背中も痛むし。
でも、私のライブに足を運んでくださるお客さまの中にも、そういう人っていると思うんですよ。だから 『大丈夫、一緒に衰えましょう!』っていう思いで歌います。途中で歌詞を間違えたら、『さっきのこの部分、本当はこうでした』ってアカペラでもう一回歌ったりするんです。それが逆に面白いって喜んでいただけたりして、衰えも楽しんでいますね」
老いや弱さを拒絶せず、受け入れながら歩んでいきたい。クミコさんがそんなふうに思うようになったのは、94歳になる両親の姿を見ているから。クミコさんは実家でひとり暮らしをする母の世話をしながら、施設に入居する父を見舞う日々を過ごしています。
「人生の終末に向かう両親に並走していると、老いの姿は100人いれば100通りあると実感します。父は癖の強い人でしたが、認知症になって穏やかになり、施設では人気者みたいです(笑)。
母は健康に気をつけていたのに、自転車で転んで両手を骨折してから生活が大きく変わりました。どんなに老後に向けて準備しても、思うように生きられるわけじゃない。人生は選べないし、夫婦でも親子でも共有できないんです。
でもね、どう生きたとしても『死』というゴールは同じです。それは悲しいけれど、ラクでもある。人生はすべて、なるようにしかならない。自分で選んだ扉を開けたつもりでも、その先の世界はいつも『え?これですか?』なの(笑)。そう思ったら肩の力が抜けました」
それはクミコさんの歌への向き合い方にも変化をもたらしました。
「日々の生活の中の小さな出来事や、心のひだを大切にしながら、その日の私にしか出せない声で、その日の私にしか歌えない歌を、歌っていこうって思っています」
巨大な戦争の嵐の中で歌に意味はあるのか

そんなクミコさんですが、「歌う」ことの意味を見失った時期が2度あると話してくれました。
1度目は、11年前の3月11 日。コンサートで訪れた宮城県石巻市の会館で、東日本大震災に遭遇したのです。裏山に駆け上って、危機一髪で津波を逃れることができたものの、多くの人が亡くなった現場に遭遇したクミコさん。それまでの人生観が大きく変わった瞬間だったと言います。
そして2度目は、今年2月に起きたロシアによるウクライナ侵攻でした。
「私はずっと信じてきたんです。1人の力は小さくても、できることを積み上げていけば、人が殺し合う時代は来ないんじゃないか、と。平和や愛の歌を歌ってきたのも、それを信じていたから。でも、たった1人の為政者が戦争を始めれば、小さな歌なんて一瞬で消されてしまう。それを思い知りました」
ウクライナの首都キーウには、数年来の友人であるウクライナ人男性が住んでいるそうです。
「彼は家族とともに避難生活を続けています。定期的にメールをやりとりして安全を確認していますが、常に命の危機にある。心配です」
迷いながら、悩みながら、クミコさんは今日も歌い続けています。
「シャンソンは暗闇を見つめながら歌うような歌でもあるんです。暗闇でしか見えないものもきっとあって、その歌を聴きたい人もいるかもしれないですよね」
人を元気にする歌は2種類あると、クミコさんは考えています。足し算の歌と、引き算の歌。
「パワフルな〝足し算の歌〟で元気をもらう人も多いと思いますが、私の歌は〝引き算の歌〟。歌を聴くことで心の中の何かがすーっと引いて、その隙間に聴く人の思いが満ちていくようであればいいなぁと。それが涙でも、悲しみでも、きっと明日への力になるから」
老親に寄り添い、痛むあごと背中を抱えて歌う自称ヘタレシンガー。等身大だからこそ、クミコさんの歌は私たちの心を「そのままでいいよ」と優しく癒やすのです。
「元気のない人が『がんばらなくてもいいんだ』と思えるような歌なら、私にも歌えるかな……。そう思えば、私ももう少しがんばれそうです」
■Profile クミコさん
1954年茨城県生まれ。早稲田大学卒。シャンソン喫茶の老舗・銀座「銀巴里」でプロ活動を開始し、渋谷「ジァンジァン」などのライブハウスでファンを増やす。2000年松本隆氏らのプロデュースでアルバム「AURA」を発売。大人のポップスとして話題になり、その名は一気に広がる。10年に「INORI~祈り~」が大ヒット、同年のNHK紅白歌合戦に出場。その歌はシャンソンの枠にとどまらず、震災やチェルノブイリ原発事故、原爆など社会問題に迫る歌も多い。
撮影/松木 潤(主婦の友社) 取材・文/神 素子
※本記事は『健康』2022年7月号を転載したものです。年齢などは取材当時のものです。
雑誌『健康』とは

創刊46周年。すぐに試せる健康法が満載の、最新健康情報マガジンです。ドクターや専門家監修の確かな情報をお届けします。
▶詳しくはこちら