放火魔でありスタンドプレーヤー 源義経は名将だったのか?
「義経愚将論」
初めてこのタイトルを見た時に、本当か? と思ってしまった。日本人ならば歴史の教科書で習う人物、源義経。今から1000年ほど前に、親の仇である平家を滅した武将だ。大河ドラマでも主人公になるような人物で、大抵の場合は美青年が演じるのが常だ。次々と敵を打ち破っていく姿から、名将のように思えるけれど、実は違うらしい。
愚将?
義経のどこが愚将なのだろうか?
大軍の平家に対して、義経が率いる源氏軍は少数精鋭。そのため義経は迂回して奇襲する作戦を好んだ。けれども実態は、平家側も迂回して奇襲するなんてお見通しで、ちゃんと軍を用意していたという。奇襲してみたけれど、義経は平家軍によって何度も袋のネズミに追い込まれていたようだ。
あれ?
この人本当に戦上手なのだろうか?
おまけに義経は放火魔だったようだ。
民家に火をつけることを好んでいたらしい。進軍した先で次々に民家を襲い、家を放火していた記録が残っている。ちなみに戦の前に放火をするということは、敵に自分の居場所と進軍ルートを伝えるものらしい。愚の骨頂というわけだ。それもそうだ。敵に自分の居場所を悟られないよう、どこを攻めるのか知られないようにするのが、戦いというものだから。戦を知らない私でもそのくらいは考えつく。
そこまで危険を冒してまで民家を放火するのは、もはや趣味なのだろうか?
なんかイメージと違う。もし義経が大河ドラマでタッキーこと滝沢秀明のような人物だったら、こんなことはしないはず。美男子が放火する光景なんて見たくもない。
しかし史実の義経は放火魔だった。
戦いのたびにこんな感じで自分から危険に入っていく義経。
そんな義経に対して、家臣たちは最初のころはアドバイスをしていたらしい。特に梶原景時という武将は義経のやり方を諌めていた。この梶原氏、義経の兄である源頼朝から義経の行動を監視するように命を受けていた。弟が無闇やたらに命を落とさないように、無謀な戦いをしないようように、頼朝の考えに背いた行動をしないように。梶原氏のアドバイスは的確なものが多かった。例えば船に乗って戦場に向かうとき、前に進むだけでなくすぐ退けるような船の漕ぎかたを提案している。けれども義経はアドバイスを無視。前に進むことしか考えていなかった。典型的なT H E猪武者。
まるで映画「もののけ姫」に出てくる猪神たちの群れのようだ。「もののけ姫」に登場する猪神は負けると分かっている戦いでも、戦略もなければ戦術もなくただひたすら眼前の敵に向かって突進していく。義経も全く同じ。自分から先頭に立ってひたすら前に突き進んで目の前の敵を蹴散らすことしか考えていない。
これには梶原氏も無謀な戦いなので参加したくなくなるだろう。「屋島の戦い」という合戦では、義経は少数精鋭を引き連れて平家軍を攻めたと言われているけれど、実態はあまりにも義経のスタンドプレーが酷かったので兵がついてこなかったらしい。おまけに前述の放火魔の性格もあって、他の兵からの人望がなかったのだ。なんか義経について知れば知るほど、タッキーのイメージとかけ離れていく。
一方の平家軍。
実は平家軍が有利に戦いを進めていた。
結果的に平家側が負けてしまったのだからそんなバカなと思っても仕方がない。けれども、平家の戦い方は巧妙だった。撤退しているように見せかけて、自分たちの縄張りである瀬戸内海へ源氏軍をどんどん誘き寄せていく。何も考えずにどんどん進軍していく源氏軍。ついには今の山口県くらいまでたどり着くけれど、平家を倒すことができない。
なぜか?
平家は瀬戸内海を使って船から源氏軍を脅かしたからだ。船を使って神出鬼没に現れる平家軍。山陽道沿いにある源氏軍の拠点を次々と襲っていく。源氏軍の本隊は敵陣の奥深くまで進軍しているから、その分軍隊を補給するための経路が延び切ってしまっていた。平家軍はその補給路を叩いた。いかに強靭な兵士といえども十分な食料と武器がなければ戦えない。源氏軍は戦いたくても満足に戦えない状態に陥っていたからだ。これは平家の作戦勝ちといってもいい。小説「銀河英雄伝説」に同じようなシチュエーションが書かれている。もしからしたら、源平合戦の実態をモチーフに書いたのかもしれない。
もはや源氏軍がジリ貧になって負けるのも時間の問題。
けれどもなぜ結果は源氏軍が勝ち平家軍が負けてしまったのだろうか。義経は戦いに貢献していなかったし、平家軍の戦略は完全に機能していた。
高校野球に例えると、平家軍が毎回ランナーを出して小刻みに得点している状態。対する源氏軍は、個人の選手が功を焦って無理に攻めるけれど、一向に点に繋がらない状態か。ジリ貧な状態が続く中で、源氏軍はビッグチャンスをものにして大量得点を手に入れる、そんな展開だと思う。なぜ源氏軍は大量得点で逆転できたのか?
高校野球に例えると、理由は誤審と平家軍のエラーだと思う。
実は源氏軍は、平家軍に停戦の話が出ているにも関わらず、攻め込んだのだ。これが「一の谷の戦い」と呼ばれる合戦の真相だ。つまり源氏側はルールを破ったのだ。停戦を呼びかけたのは、時の権力者である後白河法皇。この方は大の平家嫌いなので、偽の停戦の話を平家に持ちかけたらしい。本来アンパイアであるはずの法皇が意図的に源氏有利に動いた結果、源氏軍が勝ったに過ぎなかったのだ。だから平家が負けた理由は誤審。
もう一つの敗因はもっと深刻だった。平家軍にエラーがあった。エラーした武将は平宗盛。この方、勝っているにも関わらず撤退してしまい、戦略上重要な拠点を手放してしまったのだ。さらに最終決戦場である壇ノ浦の戦いでは、裏切り濃厚な家臣を庇ってしまった。結局、宗盛が庇った家臣が源氏軍に寝返ってしまい、平家軍の作戦が源氏軍に筒抜けになってしまった。
宗盛の二度の致命的なエラーによって、源氏軍はランナーを貯めることができた。そして壇ノ浦という最終回で逆転満塁サヨナラホームラン。源氏軍は平家軍に勝つことができた。
負ける戦いをしていた源氏軍が最後に勝ち、勝てる戦いをしていた平家軍が負けた。
歴史の不思議。
そんな歴史の流れの中で、源義経が活躍したことは思った以上に少ない。むしろ軍記物やドラマ、小説などで描かれるような名将ではない。義経は愚将であり、放火魔だった。親の仇である平家を倒す、自分のことばかりを考えて、作戦もなくひたすら前に進むことしか考えなかった。目の前のことに集中するのは悪くないのだけれど、全体をみる目は武将として欲しかった。
これは私にも当てはまる。目の前の仕事に集中するあまり、全体の戦略が見えなくなる。自身の成果を追い求めて、周りの状況を顧みない。スタンドプレーによって人心が離れていく。耳の痛い話だ。最終的に義経は平家に勝ったけれど、その最後が物悲しいものになったのはそんな理由だからかも知れない。私だけでなく色んな人に当てはまるかも知れない。他山の石にしたい教訓だ。
一方で負けた平家は勝てる戦いをしてきた。常に自分たちが有利な条件になるように、死に物狂いで考えて戦ってきた。その姿勢に学んでいきたい。放火魔でもなく、スタンドプレーでもない、自分たちチームが勝つための戦略。ビジネスの世界では勝ってなんぼの部分があるけれども、平家のように勝てる戦いを目指していきたい。
参考:海上知明『「義経」愚将論 源平合戦に見る失敗の本質』(徳間書店、2021年)