首都圏一筆書きの車窓から
(本記事は2021年11月に実施し取りまとめた内容を加筆・再構成したものです)
はじめに
JR東日本や東京メトロに乗る場合、乗車駅と降車駅の間の運賃は実際の乗車経路にかかわらず最短距離で計算する規則になっています。ただし同じ駅・区間を2回以上通らない(つまり一筆書き)ことが条件です。
3年前の2021年11月3日。週半ばの祝日が何の用事もなくポカッと空いたので、これまで乗る機会の無かった区間を中心にお手軽な乗り鉄旅をしました。
一筆書きの旅を企画する場合、乗車距離を稼ぐには路線図上でジグザグになるよう乗車するのが有効と思いますが。今回は未乗の区間を優先、かつなるべく自宅から遠いところと考えました。
横浜市内を起終点として首都圏の外縁を時計回りで巡るとすると、
起点<根岸線>大船<東海道線>茅ヶ崎<相模線>橋本<横浜線>八王子<八高線>高崎<上越・両毛線>小山<水戸線>友部<常磐線>我孫子<成田線>松岸<総武本線>成東<東金線>大網<外房線>安房鴨川<内房線>蘇我<京葉線>東京<東海道or京浜東北線>終点
となりますが、全区間の一筆書き乗車はできません…1日で回りきらないので。
あと、未乗区間は車窓を楽しみたいので、今回は起点から茅ヶ崎へ直行し、未乗の相模線、両毛線、水戸線と40年ぶりの八高線を押さえ、友部からは一路東京に向かうルートとしました。
(1)相模線 茅ヶ崎→橋本
乗り鉄ポイント:相模川の河岸段丘を駆け上がる
相模線は神奈川県茅ヶ崎市から寒川町、海老名市、座間市を経て相模原市に至る、大半が相模川沿いを通り、かつては川砂利の採取・輸送のための支線もあった路線です。車両は現在は新鋭のE131系4両編成ですが、乗車時は車両の入れ替え直前で205系でした。
相模線の個人的見どころは何と言っても2段にわたって河岸段丘を登って(下って)いくところです。
1段目は相武台下と下溝の間。それまでは相模川沿いの低地を淡々と走っていたのが、相武台下を出ると築堤でじわじわと高度を上げてゆき、一段上の面に達して再び平地になると下溝駅です。達する直前の車窓左前方、下方に相模川と橋を見渡せる絶景が一瞬現れます。
2段目は上溝駅前後。1つ前の番田駅を出ると同じく築堤をじわじわ登り、上溝駅そのものが段丘の崖部分にあり、次の南橋本の少し前にやっと平面に達するもので、段丘を登りきるのに3分半ほどかかります。
相模線は全線単線ですが昼間も20分おきに運転され、10分毎に対向列車とすれ違うため、2~3駅走るたびに3~4分の停車を余儀なくされます。結果として茅ヶ崎から橋本までの全線で1時間以上かかるのですが、ほぼ同じ区間(茅ヶ崎市~相模原市緑区)を圏央道で走ると、渋滞無ければ20分くらいで着いてしまうのが辛いところです。
(2)八高線(電化区間) 八王子→高麗川
乗り鉄ポイント:横田基地周辺のアメリカ的風景
八高線に乗るのはおよそ40年ぶり。前に乗った時はまだ電車ではなく、キハ35という通勤電車タイプのディーゼルカーが走っていました。もっと前の小学生の頃はキハ17、キハ20という、ボックスシート付きでドアは手で開ける(閉まるのは自動)車輌で、非日常の旅行気分を味わえました。現在は八王子から途中の高麗川までは電車、その先高崎へは今もディーゼルカーです。
沿線見どころその1は東福生から箱根ヶ崎にかけて、線路の両側が米軍横田基地になっている区間を走ります。今回は見かけませんでしたが、以前は芝生に囲まれた平屋の米軍住宅が並び、日本の家とどこかが違う、どこかが…と探したら、軒がほとんどないことに気付いたことを憶えています。
箱根ヶ崎を出ると東京都から埼玉県に入り、茶畑の中を走ると金子駅。金子を出ると車窓は一転、駅のまわり以外は山間部を走るようになります。今回の乗り鉄区間のうち、最も山あいを走るのが東飯能から荒川沿いの寄居までの間なので、標高もその途中が一番高いものと思いきや!
地理院地図(https://maps.gsi.go.jp/)で駅ごとに調べたら、茶畑の金子駅が一番高い(154m)ことに驚きました。
(3)八高線(非電化区間) 高麗川→高崎
乗り鉄ポイント:力強いディーゼルサウンド
続いて八高線の北寄りの非電化区間です。
今回の旅程作成上のポイントはこの区間。というのは運行本数が少なく、今回乗った高麗川駅11:32発の列車は前の列車と2時間開いており、2両編成の列車は立ち客も出る状況。何とか進行方向逆向きのボックスシートに座れました。
向かいの席は高校生くらいの男子でデジカメとICレコーダーを手にするガチ勢、通路の反対側のボックスも見るからに鉄と、見回した範囲で乗客の3割くらいは、この列車に乗るために乗っているご同輩と拝しました。
車輌はキハ110系。JRになってからの新設計、音だけ勇ましく加速が緩慢な昭和のディーゼルカーとは一線を画す軽快さです。ドアは車輌の両端にあるのですが、これは無人駅では先頭車の前のドアだけ開けて、運転士の前で運賃を払ってから降りるという路線バスのような運行を企図してのようです。
高麗川から寄居までは、駅のまわり以外は山あいを走ります。見た目標高も上がっているようですが実は100m程度で、茶畑の金子あたりの方が50mも高いのがどうにも不思議。
そして寄居の町に入る直前が一番の見どころ。半ば渓谷のように削られた荒川をひとまたきしていきます。
寄居の先は山からは遠ざかって平野の外縁部を走るようになり、沿線に家屋も増えてきます。無人駅もsuica対応。県境の神流川を超えた群馬藤岡からは高崎の郊外として住宅が立ち並び、車窓からは旅情が消え、そして新幹線の高架とビル群に囲まれた群馬最大の商業都市・高崎に到着となります。
(4)両毛線 新前橋→小山
乗り鉄ポイント:(失礼ながら)思いのほか市街地が続く
高崎からは小山まで、両毛線で東に向かいます。
両毛線を全線走る列車は1時間おき(昼間)なので、八高線ほどではないものの、沿線に田畑が広がるローカル線をイメージしていました。ところが…車窓からは家並みが途切れません。
改めて両毛線の沿線を確認すると、高崎市、前橋市、伊勢崎市、桐生市。栃木県に入って足利市、佐野市、栃木市、小山市と、北関東の著名な諸都市を繋いでおり、むしろ1時間に1本しかないのが不思議なくらいです。どうしてか?
一つは当地がそもそもクルマ社会であること。世帯あたりの車台数が1.6台の群馬県が全国4位、栃木県は全国5位であり、鉄道は高校生など車を使えない層の移動手段となっています。乗り合わせた客の中にも高校のサッカー部員のグループがいました。
もう一つは東武鉄道の存在。両毛線は先に挙げた都市間を結んでいますが、このうち伊勢崎、佐野、栃木の各駅はJRと東武が隣接。桐生と足利は渡良瀬川の対岸に東武の駅(新桐生、足利市)があり、東京に向かうには東武の方が利便性が高いようです。
使われている車輌が10年ほど前まで東海道線や高崎線を走っていた211系のロングシートの5両編成で、沿線も思いの外市街地が続く両毛線の中で、数少ない景勝の地が岩舟駅近くの岩船山。岩肌が露出した奇観に目を奪われます。車窓からは見えませんが戦隊モノの撮影にもよく使われるとのこと。あと沿線観光地としては足利フラワーパークがありますが、この時はシーズンオフだったのか、印象に残るほどの乗降はありませんでした。
(5)水戸線 小山→友部
乗り鉄ポイント:思いきったワンマン化
水戸線も昼間は1時間おきの運行、北関東を東西に結ぶ路線です。
今回乗った路線のうち相模線は大正時代、八高線は昭和初期に開通したのに対し、水戸線と両毛線ははるか昔の明治20年代、東北本線、常磐線、高崎線と同時期に建設された路線です。同時期に開通していた関東地方の鉄道は、他に現在の東海道線、横須賀線、中央線(八王子まで)、総武本線(佐倉まで)、山手線(西側部分)くらいであったことを考えると、当時の北関東エリアが南関東に比べて産業が集積し、経済力が大きかったことが窺え、認識を新たにしました。
現在水戸線に使われている車輌は、常磐線でも使われているE531系という新しいものです。ただし、水戸線用の特別仕様として車体側面を映すカメラがついていて、車掌がいないワンマン運転の時に運転士が座ったままカメラ映像を見ながらドアの開け閉めをできるようにしています。
水戸線の車窓には特筆すべきところはなく、沿線の街も結城、下館以外はあまり賑わっておらず、日没が近いことも相まって少々寂しい行程でしたが、この線のハイライトは改札にあります。
(3)で取り上げた八高線のディーゼルカーもワンマン運転ですが、無人駅で降りる時は一番前のドアまで行って運賃を払って下車する形でした。一方水戸線は5両編成でドアは20ヶ所、無人駅だからといって先頭車の1ヶ所からしか降りられないのは何とも不便。ではどうするか?
…無人駅でも全てのドアを開け、列車側では運賃収受せず、ゲートのない簡易型suica改札機にタッチするシステムになっていました。suicaはじめ交通系ICカードを持っていれば「正しく」乗車できますが、もしカードを持っておらず、乗る駅も降りる駅も無人で切符の販売機も無ければ運賃の払いようがありません。無賃乗車による収入減より駅員の人件費の方が大きいので割り切った?
(無人駅には乗車駅・降車駅証明書の発行機があるそうなので、後日有人駅で証明書を示して運賃を払うのがルールだそうです)
初乗車の区間は水戸線の終点・友部まで。ここからは幹線であり、通勤路線でもある常磐線。すでに日も暮れ、何度も乗った区間ゆえ、上野までグリーン車で一気に移動。1都6県を走破して乗り鉄を終えました。