思いを重ねられる場所
みなさま、こんにちは。
物事を「引用・気づき・行動」にてアウトプットするアウトプットリーダーきらけんです。
私は会社員(IT営業マン)として働きながら、日々、学びに時間を費やしています。
本日の学びは、『思いを重ねられる場所』です。
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お参りになぜいくのだろうか。
物心ついた時から、初詣にいく習慣があった。
神社に行き、お賽銭を入れ、お参りをする。
特別信仰心があったわけではないが、習慣としてお参りにいっていた。
私が結婚してから、妻の家族といっしょにお参りに行く場所がある。
清荒神清澄寺。
平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建された。
火の神、カマド(台所)の神としてあがめられている。
そんな歴史ある清荒神にお参りにいっているのだ。
時期は節分を過ぎた週末と決まっている。
かれこれ、15年近くになる、
最寄りの阪急電鉄清荒神駅から、1キロ近い参道を登っていく。
参道にはお店が左右に並んでいて、参拝する気持ちを高めてくれる。
駅前にある精肉店のコロッケが有名で、毎年コロッケを食べてから登るようになっているのだ。
さて、30分程度参道を登ると、清荒神清澄寺にたどり着く。
山門をくぐると、壮大な世界が広がっている。
山を切り開いた場所に、清荒神を祀るお堂、大日如来を祀るお堂という二つのお堂がある。
手を清め、お賽銭を入れ、参拝する。
まずは、清荒神を祀るお堂だ。
静粛な気持ちになる瞬間である。
無事に一年を過ごせたことを感謝の気持ちとして伝える。
そして、大日如来を祀るお堂だ。
こちらでは、ろうそくに火を灯し、線香の煙を全身に浴びる。
敷地の最後に、一願地蔵尊というスポットがある。
一願地蔵尊は金銅製の巨大な立像で、頭上にまで水をかけて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われている。
一般にお参りでは感謝の気持ちを伝えて、願い事をする場所ではないと言われる。けれども、ここでは願い事をする場所なのだ。
勺に水を入れて、立像の頭上目がけて水を掛ける。立像の頭上にまで水をかけるため、勺を手で掛ける際に、飛び上がってしまうのだ。
そんな思いで、水をかけて、願い事をする。
今年一年健康に過ごし来年もみんなでここに来れますように。
そんな思いを立像に念じた。
考えてみると、お参りをする行為には、参拝に来る人たち、一人一人の思いを吐き出す行為だ。だとすると、清荒神清澄寺のような著名な神社仏閣には、それだけの人たちの思いが積もっていく。この思いの積み重ねにより、神聖な気持ちにさせてくれるのではないだろうか。
人は感情を持ち、思いを吐き出す。ここはそんな思いを受け入れる場所なのだ。
コロッケを楽しみにしていると妻に伝えながら、私は密かにこの人々の思いを受け入れる場所に毎年行けることを楽しみにしている。私の大切な人たちと思いを重ねられる場所なのだから。
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本日の学びは、『思いを重ねられる場所』でした。