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アイスホッケーがくれたもの

本日3月31日をもちまして、5年間通った東京大学文学部を卒業しました。浪人や留年と遠回りになりましたが、その分人との出会いや経験は多く、充実した時間を過ごせました。
ちょうど年度の変わり目ということもあり、軽く振り返ってみますと、アイスホッケーに捧げたような5年間でした。

アイスホッケー中心の生活

5年間で総氷上はおそらく1000回は超えたんじゃないかというほど、アイスホッケーに没頭していました。氷の上で、スケートが滑れるのが前提の中、長いスティックを用いて小さいパックを扱う、という難しい性質の競技に奥深さを感じたことが理由でしょうか。
Tokyo Icehockey Channelというアイスホッケーの大学リーグをライブ中継する団体で、アイスホッケーを観戦することにも楽しみを見出すようになりました。毎年秋になると、東伏見のリンクに一日中缶詰というような日々が懐かしいです。

もっと大学リーグの下部リーグから盛り上がればいいなというモチベーションからイベント開催も何度か行いました。春大会の試合数が少なかったため、5校くらいチームを集め総当たりの下位リーグという大会を開催しました。そんなに規模の大きなものではなく、練習試合を10試合ほど組むというようなものでしたが、順位を出すため準公式戦のような形で緊張感のある試合機会を提供できたのかなと思います。
さらに、同じ時期に大学リーグと同好会リーグのオールスターを開催しました。これは話すと長くなるので以前に書いたnoteを見ていただけると幸いです。これに関しても、深夜2:00の枠であったにも関わらず、ホッケー関係者が100人近く集まり、選手にとっても観客の方にとっても価値のある時間を提供できたのかなと思います。

そんなアイスホッケーにどっぷりと浸かる生活を4年間続けたものの、選手としての最後は不本意なものに終わりました。最終学年の秋大会は諸事情あり不参加となり、人生の中で一、二を争うほどに絶望していました。2019年9月からの2ヶ月は何をするにも気力がおきず、もはやルーティンとなっていた週末に伏見に行くことと、他大学の練習に参加すること以外ほとんど何もしてないような日々でした。大学もほとんど行けなくなり、2019秋の取得単位は2単位でした。
そんな自分の選手としてのシーズンが終わり、アイスホッケーに対する関わり方って他にあるかなと考えた結果が、アイスホッケーのカメラマンとコーチでした。

カメラマンとしてのアイスホッケー

カメラマンについては、元々趣味でカメラをやってたこともあり、初心者用の機材はあったのですが、アイスホッケー撮影は動きも早く室内で暗いためとても難しく一度諦めていました。しかし、リンクに通っているうちに、何十年も学生リーグを撮り続けていたカメラマンに声をかけられ、秋大会出れず残念だったねというような話から、ちゃんとした機材を貸してもらって撮影しているうちにアイスホッケー撮影の面白さに目覚めました。中古のフルサイズのカメラを新宿のマップカメラで購入し、メルカリでちょっとよさげな望遠レンズを割安で購入し、アイスホッケーを撮影する側に回りました。
一緒に引退する予定だった同期の選手たちを撮ってあげようくらいのモチベーションだったのが、ずっと見てた大学1部リーグの試合を撮ってみたい、応援してたプロチームの選手を撮ってみたい、そう思うようになり、伏見や日光へ足を運ぶようになりました。2019年の年末には一念発起し、今まで行くことが叶わなかったインカレを釧路まで撮影しに行きました。初日から5日間ほど、自分の同期として卒業する選手たちの有終の美を見届けました。

2月には、元プロアイスホッケー選手の鈴木雅仁さんに誘われ、横浜で行われたRedbull Icecrossの撮影に行きました。レースのゴールに当たる場所にプレスのような形で入り、写真を撮らせてもらいました。そこで出会ったのがまだ活動して間もない横浜GRITSでした。偶然にも目の前でイベントを行っていたので、写真を撮ってSNSにアップすると、直接横浜GRITSの選手から写真を使わせてくれないかという連絡が来ました。それをきっかけにして、アジアリーグに登録が認められる3ヶ月ほど前の横浜GRITSにスタッフ兼カメラマンのような形で参加するようになりました。それまで、Tokyo Icehockey Channelなどで、Photoshopで画像加工をしていたため、SNSに出す画像作りやリンクなどに掲示するポスター作りをしながら、横浜GRITSの練習に参加して写真を撮りに行くというような感じです。
横浜GRITSに関しては、コロナの影響などで試合数はかなり少なくなってしまったものの、ファーストシーズンを何とか終えました。横浜の試合は軒並みキャンセルで最後に写真を撮ったのは11月まで遡るほどでした。横浜GRITSのスタッフはみなさん素晴らしい方々で本業の傍ら、睡眠時間を削って試合の準備やSNSでの宣伝などを行っており学ぶところが多かったです。横浜GRITSを通して繋がれた方々もたくさんおり、少なからず今後の人生に影響を与えるような体験になりました。横浜GRITSはもちろん、リーグ自体が継続するかも分からないほど、アイスホッケーは苦境に陥っています。アイスホッケーの価値を高めることが不可欠になるのでそのような活動が将来的にできたらなと思っています。

また、2020年の大学リーグは無観客試合として開催されましたが、アイススポーツジャパンの山口真一さんの協力もあり、プレスとしてリンクに入り、撮影することができました。コロナ禍で他の大会は全てキャンセルとなり、唯一の大会となった秋大会で、例年よりも試合数は半分ほどに削られていました。四年生は特にやらせない気持ちになっているのは昨年の経験から身をもってわかっていたので、せめて思い出作りに貢献できたらなとできるだけ大学リーグを優先して撮影するようにしていました。その流れで、アイスポにいくつか記事を載せていただけました。
写真も本気でやると色々と繋がるものがあるんだなと実感できた一年となりました。現在でも、アイスホッケーの繋がりで出会った人に誘われて、洋服ブランドの宣材写真や企画のカメラ係として仕事をいただき、自分一人では出会えなさそうな有名なテレビプロデューサーや起業家の方々にお会いすることができ、とても学びの多い日々になっています。

コーチとしてのアイスホッケー

ここまでがカメラマンとしての話。そしてこれからがもう一方のアイスホッケーのコーチの話です。
アイスホッケーのコーチとして初めて関わらせていただいたのは、東京都市大学です。2019年の秋頃から同期の仲良いGKにホッケーの指導をするようになったことをきっかけに、2020年の初め頃は合宿に帯同し、GKを中心にプレイヤーのスケーティングなどを指導していました。

アイスホッケーのゴーリーの知識に関しては、埼玉のスクールや釧路でお会いした佐々木コーチのレッスンに参加したり、それをもとに対戦相手分析などでGK分析していた経験が活きていると思います。
しかし、残念ながらコロナ禍で試合も練習もなくなり、教えに行くことができなくなりました。緊急事態宣言下でリンクが閉鎖し、アイスホッケーができない日々が続き、どこの大学も新歓はもちろん、自チームの練習すらできないという状況でした。緊急事態宣言が明けてリンクは再開するも、多くの大学、特に医療系の大学を中心に、課外活動に対して慎重な体勢を取っていた6月ごろ、アイスホッケーをやりたい人がちゃんとアイスホッケーができる環境を作ろうと、自分で枠を確保し、氷上機会を提供していました。
アイスホッケー男子日本代表監督の岩本さんとも出会い、大学生向けのスクールに参加してもらったりなど実現したいことの幅が広がっていく感覚がありました。コーチの姿を間近で見ている中で、アイスホッケーをメジャースポーツにしたい、子供たちがアイスホッケーを続けていく環境作りなどを行いたいと思うようになりました。
4月以降からは、地方の連盟と連絡をとりながら、様々な障壁からアイスホッケーを諦める子供を増やさないような活動をしていきたいと思っています。

そしてご報告ですが、今月の初めから、三浦孝之さんにお誘いいただき、法政大学アイスホッケー部にアナリスト兼ゴーリーコーチ補佐として参画することになりました。法政大学アイスホッケー部は昨年は東京のリーグで4位、一昨年はインカレ準優勝の強豪校です。プレイヤー全員が子供の頃からホッケーをしていて、大学からホッケーを始めた自分にとっては雲の上の存在でしたが、このような僕でも受け入れてくれた部員、監督およびスタッフの皆様に感謝しています。アナリストという役割は、試合や練習などのデータをもとに定量的な評価を出すだけではなく、他チームの分析、そしてそれに対応する戦術作りという、チームの勝利において重要な役割を占めています。データ分析という分野において自分がスキルが高いわけではないですが、今までホッケーを見てきて身についたホッケー観を可視化する手段としてデータ分析は有効だと考えています。法政大学の勝利に貢献することはもちろん、データを用いたホッケーという日本では遅れている分野の先駆者となり、日本のアイスホッケーの発展、成長に寄与できればいいなと考えています。

卒業後の進路について気になっている方もいらっしゃるかと思いますが、就職はしないことにしました。自分のやりたいことを実現するためには遠回りだと思ったからです。アイスホッケーのコーチをやりつつ、スクール事業の立ち上げ、そしてずっと興味のあった哲学教育の分野で起業をしようと考えています。そう簡単な道ではないですが、とても楽しみなことばかりです。教育の起業に関してはまだまだ未定なところが多く、色々な方にお話を聞いている状況です。もし、教育分野などに興味を持っている方いらっしゃったらお話し聞きたいので連絡いただけると嬉しいです。

このような形で、アイスホッケーにどっぷりと浸かりきった5年間でしたが、1番の学びは、スポーツに対して選手として関わるということ以外にも関わる選択肢がある、ということです。カメラマン、スタッフ、コーチ、チーム運営などなど様々な人たちがスポーツに関わり支援しています。ただ一個の可能性がなくなっても、様々な可能性にチャレンジすることで道が開けることがあります。
アイスホッケーを通して繋がった人間関係は大学5年間の生活の上でかけがえのないものとなりました。人の人とを繋げるという性質こそがスポーツの一番重要な性質なんじゃないかと思います。
関わってくれた皆さまありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

#スポーツがくれたもの

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