運命論的生き方のススメ
かの有名な哲学者、ボエティウスの『哲学の慰め』という本の中で"運命の女神"はこう述べている。
運は常に変わるので驚くべきではない。運は気まぐれで、運命の車輪は回転する。絶頂に登ったかと思うと、どん底に落ちる。運は当てにならない。
運命の車輪は回っていて、幸運な時もあれば不運な時もある。その運命の車輪は止めることはできない。人間には大きな運命の流れを止めることはできない。
人はうつろいゆくものに幸福を求めてしまう。
何かを得たから幸せ、何かができたから幸せ、逆に何かを失ったから不幸、というように。
幸せは外からしか舞い込んでこないものだろうか。答えは違う。真の幸福は内にある。
他人や環境といった、自分の力ではどうにもならないものに自分の幸せが左右されてはいけない。
幸福とは世界ではなく心の状態である。
では自分の幸せを見つけるためにはどうすればいいのだろうか。
運命の車輪の回転を遠くから眺めてみる。つまり運命の車輪に自分が乗ってぐるぐる回るのではなく、運命の車輪を神が与えられたものだと達観する。
不幸を不幸だと思わないことが一番幸せの近道だ。
どんなに自分が不幸に感じる出来事が起きたとしても、それは自分が不幸だと解釈しているだけにすぎず、自分の解釈次第で不幸は幸福にもなるのだ。
何かを失ったとき、それを失ったことには変わりはないが、何かを得るための空間的、時間的、金銭的余裕が生まれたと考えることもできる。何かを失ったら失った悲しみにくれるのではなく、それを埋めるような何かを見つければいい。
何かを持つということは、壊れたり紛失したりするリスク、保管する手間と責任、全て表裏一体である。この諸行無常の世の中で何かを失うなんて日常茶飯事だ。
どうしても何かを失って立ち直れない、悲しみが消えないそんなときは悲しみながらでもいい新しい何かを見つけよう。
人生の解釈は色々あるが、私は運命はいつも味方をしてくれていると思っている。
どんな出来事が起きてもそれがきっと最善の選択になるように運命が誘導してくれていると信じて生きている。
だからといってただ運命に従っているだけではダメで、与えられた運命を最大限に生かせるかどうかは自分次第だ。そのためには運命を解釈する必要がある。これを失わせることで何を得させたかったのか。それを考えながら自分にできる次のことを探すことが重要だ。
運命はただの回り続ける車輪であり、受動的な人間を運ぶ車ではないからだ。
車輪をどう活かすかは自分次第なのだ。
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