栗原康さん×勝山実さん 対談 後編・3
こじらせニヒリズム
ーー雑誌に『紙の爆弾』というタイトルのものがあるけど、まさに栗原さんは紙の爆弾投げつけてる感じがするんですよ。やっぱりピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」の唐突な暴発力とか、ロックの唐突なる衝撃みたいなものを紙で、文章で表現している感じがするわけです。だからいわゆる「小説家」でなくていいけど、研究者というより、作家路線が栗原さんの本領が発揮できる分野かなという気がしますね。評伝を書いたりとか。
栗原:広い意味で、「文学」であればいいなと。
ーーあとぼくがもうひとつおもってるんですけど、「ニヒリズムをこじらせている」という言葉を使って、最近ニヒリズムをテーマに書いていますよね。ぼく流にいえば、「中途半端なニヒリズム」というか。ここに少し今後の栗原さんの表現の可能性を感じているんですよ。自分もいまひとつよくわからないところですけど、資本主義の*加速主義とかね。ただその傾向は結局シニカリズムにしか行き着けないと思っていて。栗原さんはどうですか?そこらあたり。質問の仕方が具体性を欠いていて申し訳ないですけど。
栗原:「こじらせている」と言ったのは、ニヒリズムの「ノー・フューチャー」が権力に使われてしまっていると思ったからです。たとえばネオリベって、きほん「おまえたちに約束された未来はない」といいつつ、未来がないからこそ、そのつど未来のために自己を投機させるんですよね。あとがないからこそ、頑張らないと終わると思わされて、自分をデザインすることに躍起になってしまう。過剰な未来志向。勝山さんも就活のトレーニングのヤバさについて書かれてますけど、ぼくらに先なんてないとわかっているはずなのに、自分の将来をポジティブに語らされる。そういう権力がすごく強くなってるなと。
勝山:そうですねえ。
懐かしい未来が還ってくる
栗原:だから自分に対して、真にノー・フューチャーを突きつけたい。時間そのものを突破するというか。早助よう子さんの小説で面白いなとおもったのは、「懐かしい未来が還ってくる」という言葉です。ひとがほんとうに好きなことをやるときって、就活みたいに将来のことを考えて、目のまえの選択肢のなかから一つを選ぶというものではないですよね。好きな本、好きな音楽、好きな人。どれも理由なんてなくて、あたりまえのように好きになってしまう。昔からそうするとわかっていたかのように。はじめてのことなのに、その未来が懐かしいような。そんな感覚をだいじにしたいなと。
ーーなるほど。それはまさにそういう経験した人間同士が通じ合える感覚かもしれないですね。そこをどういうふうに工夫してうまく伝えるか。
栗原:ええ。
ーーそれを書き切ってくれると嬉しいなぁ。栗原さんの今後の展望をそこに感じます。いまは読みようによっては栗原さんの文章も「これ、ちょっとわからない」と思ったり、「栗原さん、どこへ行っちゃうんだろう?」と。正直ぼくもそのひとりだったのですが、同時に「いや。なにか新しい表現、まさにこのZOOM的な枠組の中ではおさまらないような、身体含みのこと。それを何か伝えたいんじゃないか」と思い始めているので。それを期待したいところですね。
栗原:出口なおを本格的に書いたら、もっとわからなくなるかもしれません。
ーーそれはもう書いて発表する可能性のある話なんですか?
栗原:まだ時間はかかるかもしれませんが。
勝山:おお。
栗原:準備中です。
勝山:いいですねえ。
コロナというキーワード
ーー勝山さん、栗原さんってすごい冒険してると思いません?書き手としてどうですか。いまの話を聞いているとすごい領域に入っていきそうな気がするんですけど。
勝山:読み手として、これからどんなものが出てくるか楽しみです。聞きいっちゃいましたよ。
ーー想像がつかないですもんね。未知の領域に行こうとしている感じがして。
栗原:言葉にならないものを表現していくって、どこまでいけばいいのか。難しいですよね。
勝山:私もね、栗原さんの話を「うんうん」とうなづきながら聞いてはいたけど、「どう思いますか?」って聞かれたら、何にも答えられないというのが正直なところです(苦笑)。すごく惹き込まれて聞いていたし、いわんとする雰囲気を感じることはできるけど、今の自分の中にはないものだからね。
ーーそうですよねえ……。勝山さんは『黙示のエチュード』や『大菩薩峠』あたりの、最近の書評とかはどう感じましたか?
勝山:栗原さんの最新の書き下ろしも含めて、本の後半の書評は特におもしろかったです。そこにつながっている部分に「コロナ」ってキーワードがあるわけで、やっぱりコロナって考えるべき中心にあるものだなって思いました。だからコロナ以降の書評はおもしろくてね、あと10コでも20コあっても、その日のうちに読みたいと思うくらいだった。
栗原:お〜。うれしい。
勝山:リアルタイムのおもしろさというのをすごく感じました。『アナキスト本を読む』は、いま読むとおもしろさ倍増しますよ。
勝山さんの文章は堺利彦に似ている
栗原:お二人が送ってくれたムック本(『今こそ語ろう、それぞれのひきこもり』)、すばらしかったです。ぼくはふだん大正時代の社会主義者の文章が好きなんですけど、勝山さんの文章って堺利彦に似ているなと。ご存知でしょうか?
勝山:知らないですねえ。
栗原:幸徳秋水のパートナーだった社会主義者なんです。
勝山:そうなんですか。
栗原:当時は名文家として知られていて。
勝山:それは読んでみたい。
栗原:たぶん『パンとペン』がいちばんいいと思います。*黒岩比佐子さんという人が書いた堺利彦の評伝です。
ーー堺利彦に勝山さん、似てるんですか?
栗原:もう本当に彼の文章はものすごいユニークなんです。いつもクスっと笑わされて、しかもすごくわかりやすくて、だけど内容はガチなんですよ。
勝山:へえ~。
栗原:ユーモアたっぷりで権力をオチョクリながら、いきなりパシっと叩く、みたいな。そういうのがものすごくうまかった人です。
ーーオーガナイザーとしての才能の話しは見聞するんですけど、文章もそんなに面白いんですか?
栗原:名文家ですね。大逆事件後、社会主義者はみんな食えないんですが、そのために作ったのが「売文社」。文章を売る仕事。ライター業の元祖でもあります。なんか勝山さんの直近の文章を読んで、ふっと「あ、堺利彦だ」と思ったんですよ。
勝山:そうなんですか。
栗原:人としてもちろんいい人だったんですけど、筆一本でどうやって権力をからかい尽くしてやろうかとか、なにかその表現の力のいれどころとかがすごく似てるなと。だから勝山さんが堺利彦を読んだらどうおもうんだろう?と。
勝山:すごく興味がわきました、すぐ読んでみますね。
栗原:ぜひ!
ーー勝山さんはひきこもり界ではユーモアのセンスが抜群というか。まあほかにそういないのでね。ユーモラスに書ける人は。
勝山:ねえ。なかなかいないよねえ。
ーー唯一じゃないですか。
勝山:なんでだろうねえ?
ーーやっぱりどうしてもマジになっちゃうんですよ。
栗原:スッとユーモラスに行きたいですよね。
勝山:杉本さんのユーモアは天然だしねえ。こんなおじさんオンライン飲み会に栗原さんを呼ぶなんて、普通はできないですよ。しかも手ぶらでしょ。栗原さんに手土産的なものも一切持たずに。
栗原:いや、いらないです(笑)
勝山:栗原さんがそうおっしゃるのはわかりますよ(笑)。ただ杉本さんはいつも、自分にはとうていできない野蛮なことを、丸腰でやりきるんです。すごいなと思って。
ーー(笑)いやいや。でも、ぼくは勝山さんと栗原さんが話し合いをしてるのを聞いてみたい妄想抱いてたんですけど、その通りに盛り上がる話をたくさんしてくれてとてもうれしかったです。
栗原:良かったです。
勝山:楽しかったです。それではまた。
2021.2.25
(ZOOMにて)
進行:杉本賢治
*加速主義ー加速主義(かそくしゅぎ、英語: accelerationism)とは、政治・社会理論において、根本的な社会的変革を生み出すために現行の資本主義システムを拡大すべきであるという考えである。現代の加速主義的哲学の一部は、広範囲にわたる社会変革の可能性を抑制する相反する傾向を克服することを目的として、脱領土化の力を特定し、それを深め、急進化することを目的としたジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの脱領土化の理論に依拠している。加速主義はまた、資本主義を深化させることは自己破壊的な傾向を早め、最終的にはその崩壊につながるという信念を一般的に指す言葉でもあり、通常は侮蔑語として用いられる。すなわち、テクノロジーの諸手段を介して資本主義の「プロセスを加速せよ」、そしてこの加速を通じて「未来」へ、資本主義それ自体の「外 the Outside」へと脱出せよというメッセージである。(ウィキペデアより)
*黒岩比佐子ー(くろいわ ひさこ、1958年5月1日 - 2010年11月17日)。ノンフィクション作家。本名、清水比佐子。2004年、『「食道楽」の人 村井弦斎』でサントリー学芸賞受賞。2008年、『編集者 国木田独歩の時代』で角川財団学芸賞を受賞。2010年11月17日、すい臓がんのため東京都中央区の病院で死去。52歳没。2011年、『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』で第62回読売文学賞(評論・伝記部門)を没後受賞。(ウィキペデアより)