田中康雄さん(児童精神科医)インタビュー前編・2
垂直関係の衰退と自己責任論
杉本:先生の講演録をすごく興味深く読ませてもらったんですけど、やはり後ろのほうで出てくる話で、いまひとつ難しい内容だなと思った部分をいまお答えいただいたような気がします。つまり「垂直な関係」に支えられて「水平な関係」がある、みたいな話ですよね。水平を支えるための垂直な支えということは、いったいどういう世界なのか、ということは僕もちょっと読ませていただいた限りでは分からない部分だったんですけど。これは本当に皆もなかなか気づけていないというか、じゃあ「大きな支え」っていったい何だったんだろう?ということがちょっとピンとこなくなってしまっているかもしれませんね。
田中:そうですね。
杉本:このあたり先走ると、村澤和多里先生なんかは「社会構造が変わったからですよ」という形でポンと来ちゃうんですけど。その変わった構造がどうだったんだろうなあというのは、産業構造の話にもつながるんだけれども、「産業構造なのかな?どうなんだろう?」みたいな。
ただ同時に僕も40人クラスの中で荒れたクラスのほうに居て、まあシンドイと。で、家に帰ると兄貴が居て。まあ僕の場合はどっちかというと、その当時は家の中のほうが辛かったんですけど。学校も学校でキツイところだと中学時代から思い始めてましたけれども、自分のようにのび太のような者として、それは思い出すと楽しくない世界だったと思っているんです。じゃあ我慢が必要だったのか。我慢をすれば包摂してくれる社会であったのか。田中先生が仰られる水平関係を止揚する垂直な大きな包摂というか、支えは何だったのか気になるところです。
いまはそれが無いんだという角度から言えば、「ないんだ」というのはみんな納得するんだと思います。ですから「自己責任」だけというのではまずいんじゃないかと、分かり始めていると思うので。ただ、新たに共有される幻想もないですよね。
田中:そうですね。かつて小泉さんが若者がイラクに行って捕虜にされたときに「自己責任」という言葉を使ったときすごい違和感があったんです。「自己責任」ってひとりひとりの力を信じてますよということを前提としたものであればいいんだけれども、自分勝手にやったことだから自分で責任取りなさいという、いわゆる「放り投げられた」感じのことばで、「ああ、この国は垂直関係を放棄したんだな」という風に思いました。その前段にプラバタイゼーション(私事化)の「自分さえ良ければよい」という風潮がアメリカから流れてきて、日本もそうなったとき、同時に当時は若者たちの中にも抵抗運動があったし、それを統治するためにいろんな力を使っていた。この国も60年代安保のときに垂直関係で統治されたくない、というエネルギーでいわゆる下克上して転覆させようとしたけれども、巧妙な大人の力によって結局はダメになった。そのあともうちょっと巧妙に転覆しようと思って70年安保前後の動きになった時、結局大きな垂直関係の支配関係から逃げられないと悟ったのは、連合赤軍に象徴的だけれども、その赤軍の中でも垂直関係を作って、その上下関係の中で一部の人たちを淘汰してしまった。結局僕らは垂直関係の中で守られているのと、垂直関係の中で支配されている部分の両方の中で生活のバランスを取らざるを得ない。それが集団生活、集団社会なのではないかと思うんですよね。それはちっちゃい会社でもそうなんだけれども。でもそういう所にもずいぶん軋みが出ていて、垂直関係の支配関係がハラスメントとして登場してくる。その後ハラスメントが糾弾できるようになった。父親的な暴力も糾弾できるようになった。それはある意味、支配される側の生活を守る発想なんだけど、同時に小泉さんが言った「自己責任」をもそこにかぶさってくる。じゃあハラスメントはしないけれども、あとはお前が勝手に会社の中でやっていけよ、ダメだったらクビにするよと。「守り」と「支配」の裏返しの部分が出てきた。例えばドラマ『寺内貫太郎一家』みたいな感じで、滅茶苦茶な。実は僕は「寅さん」も嫌いだし、寺内貫太郎も嫌いだけれども、ああいう物凄く強い支配関係を出す人が一定の評価をされるのは、象徴的だなと思う。でも、その支配力を発揮する側のもろさも知ったうえで、みんなそこそこ何とかバランスを取っておいおい生きてきた部分が、急にバーンと「自己責任だよ」と言われて放任されちゃったとき、そこから先にサクセスストーリーになれる人と、当然途方に暮れる人が出てくる。時代的には、小泉さんあたりがネックだったかなと。でも社会構造としては当然村澤さんがおっしゃられる社会構造の変化として大きく、やはり父権制社会が「ハリボテ」だったというのがバレちゃった。
河合隼雄が言っていたように日本はずっと母性社会なので、母に守られた中で支配も作られてきた。それは表には絶対出ない部分で、表に出るときには父による言語表出が苦手な衝動性の高い父権制によって統治されているように見えるのだけれども、実は巧妙にうしろで操っている母がいて、それによって成り立っていたのに、操っていた母が表に出るようになって、操られていた父が居なくて当然となった時、ハリボテの父性社会も壊れちゃった。そのあたりが支配の崩れになってきた。いまハラスメントでいうのは、DVであったり、ハラスメントの対象者は主に男性社会で、「育ち」の部分で言われる「毒親」は、その多くは母なんですよね。「毒父」とはあまり言わない。子は守られるべき母に支配されていた、という。それは実はすごくドロドロした関係なんだけれども、父あるいは男性が登場するハラスメントはもっとドライで、「許さない」と言ったら終わっちゃう。そこに葛藤はないんですよね。毒親にはすごく葛藤があって。僕の個人的な考えですが、この国の母性社会は支配力が見えやすい父権によって、バランスが取れていたのかもしれないと思っています。それが父権が後退撤退していくなかで、母権が表に出やすくなった。もともと母は愛と支配をバランスよく「包み込み」、でもその果てにある繋がりを切る力を父権が持っていた。いわゆるつながりの母権と、切り離しの父権。このバランスにより、子どもは「不条理だ」と言いながら、この社会で「生きていこう」とほどほどの自立をなしえていく。当然切り離しが激しくても、つながりが強すぎても、自立がうまくいかないことになる。現代はこのつながりと切断がうまく機能していない。特に切断機能が弱くなり、結果、つながりが目立つ。スパッと切れなくなった社会の中で子どもはお母さんの機嫌を取りながら、しかしこの母から逃げるには?という、非常にアンビバレントな思いになって、そこで何か止まっちゃっている気がするんですよね。自己責任ではつながりを認めつつ断腸の思いで切るというスタンスでなく、放り出しの無責任な視点のようです。
杉本:お父さんが責任放棄しちゃってるわけですね。
田中:そうですね。
杉本:「お前の責任だ」と。逆に「あなたの責任はどこへ行ったの?」という話ですよね。
田中:そうですね。
杉本:本当にそういう意味では父親はいなくなったかもしれない。
田中:ないんですよね。
杉本:父親は、まあ、外国は分からないんですけれども、でも同じような感じかなとも思うんですけれども、基本ゴチャゴチャ言わない。物事は「いいものはいい。ダメなものはダメ」とスパッと切る形で、勿論そのために子に「反抗期」というものがバランスよく起きたわけで、それは結局論理と論理の対立みたいな形ですよね。
田中:そうですね。
杉本:母性的な葛藤でなければ。論理的な対決を展開すればいいんですけど。だから2000年以降の小泉政権。その前の森政権みたいなものを見たとき、モヤモヤして「父親らしい人が出てきて欲しい」という空気の中で、小泉純一郎さんがいかにもこの国の父親に俺はなるんだみたいな趣きで。それまでは青年だったけど(笑)。登場したけれども、実は父親としてハリボテだったということだったんですね。だから政治的には田中角栄みたいな人が対象に乗ってくれば、お金に汚いというのは当然あるんだけど、結局はやはり包摂性が高い父親ということになりますかね。
田中:そうですね。
杉本:簡単に何でも「いいよ、いいよ」という人でないにしろ、まあ「見てる」というか。いろんな人のありようを見てる。でまあ、そういうカルチャーが保守的政治の世界の中にもあって、派閥があって、それは田中角栄に限らず他の人たちもそういうキャラクターではあったというか、そういうキャラクターでないとボス猿にはなれない。で、ボス猿の様子を見ながらその子分というか(笑)。子分のような議員がいずれは自分が、と。そういう、能力として「できる、できない」というだけでなくて、人間のキャパシティに対する理想像がいまはあまり持てなくなってきてるのでしょうか。
田中:うん。そうですね。
杉本:まあ「包摂父」という話なんですけれども。だからお母さんが困っているのかな?そういう意味では。