京都旅行 Part1
前日
明日から京都。二週間予報とさいわい違って。比叡山ふもとの修学院離宮や、比叡山に行く火・水曜も天気は悪くならないようで安心しました。
京都はインバウンド観光客が今年特に多いようなので、そこも素朴に不安なのと、やはり歴史の堆積する重さに歴史が明治以降の北海道札幌に生まれ育った者には「うわ〜」というものがあります。変に予習しすぎると。今回は短期滞在も含めると三回目ですが、4泊5日と結構長期滞在。
どうしてもお寺巡り中心ですが、何しろ京都は平安時代初めの天才、空海の真言密教にまつわり、仏教の総合学坊の比叡山延暦寺を開寺した最澄による天台宗とその学坊?からオリジナルな教祖を産んだ武家のが支持する禅宗、商人に広まった日蓮宗、そして庶民が救済を求めた浄土教各宗派、それらの本山系のお寺が集まっていて、京都は仏教各派の多様性半端なく、同時に信仰から派生する、あるいは権力者たちを喜ばせる絵師らりによる素晴らしい障壁画、そして作庭など。応仁の乱以後の特に桃山文化から江戸へ、一度は平安時代とほぼ京都も大きく変貌し、同時に神仏混淆だった文化と信仰が明治維新後の廃仏毀釈の影響で一度錆びてしまった古都も政治の落ち着きと共に文化都市として再生しているわけで。
その意味で権力も深く関与しつつも古都の歴史の奥行きの深さ、文化的なツールの多様さに圧倒されるところがあるわけで。そういう意味でとても楽しみにしており、またドキドキもしています。
5月20日 月
伊丹空港行きの飛行機が15分遅れ。予定していた13:30発の京都行きリムジンバスに間一髪で乗れず。20分後の次の便でも幸いそれほど遅れは感じず。いつもの迷子癖を反省し、スマホのナビを使ってホテルにまずは荷物を置かせてもらい、今日は時間的にここだけと予定を入れていた東寺に向かう。ホテルに近いため、安定の午後3時着。今回は京都のシンボル五重塔の初塔内部も拝観を考え、2日に分けようかとも考えていたが、これなら全体を見通せそうだと割引拝観券を購入し、有料の各坊を見通すことにする。
・講堂
東寺で最も有名で国宝仏の多い講堂は入り口手前から金剛界仏、中心に大きくて見事な大日如来。そして奥まったところにもう一つの見どころである不動明王を軸としていわば仏敵を守る忿怒像が並ぶ。全部で二十一体。本当に手前から奥まで乱立する感じ。
講堂でやはり一際興味深いのは壮大な大日如来像とともに、「明王パート」の中心となる不動明王像だろう。後の不動明王忿怒像と違い、表情に忿怒そのものを表すというよりも、非常に下衆な言い方をすれば、何かカチンとする物言いや事象にであって、思わず歯ぎしりが出たとでも言うような。それがなんともリアルにみえるというか、デティールが大袈裟にならないある種の人間臭さをも醸し出している。一説によると日本に初めて忿怒像を輸入したのは空海だそうで、いわばそこから仏像のバリエーションが広がったのかもとうがってみる。明王や神将のような様々な憤怒の形が生まれたのかもしれない。
作家の橋本治がこの不動明王像が空海自身を模しているのではないかという仮説を立てたが、あるいはほかの作家もこの不動明王は空海自身が彫った像だという説もあるそうで、おもしろい。そんな不動明王は右手に刀剣を持ち左手に数珠を持って顔を少々歪めておられる。
ところでぼくなどは由緒ある寺のご本尊というと、半眼、ほとんど目を瞑るに近い状態でうっすら微笑みを浮かべている印象だが、こちらの本尊である大日如来はしっかりと目を見開き、拝観者を眼差しているかのようだ。これも空海の密教世界のリアルか。ただ、実はこの講堂自体は応仁の乱期の一揆で講堂は焼かれており、この大日如来は1497年に復元したものである。(不動明王は空海の時代からのもの)。
「日本的な仏堂」というにはこの大日如来や日本になかった不動明王を含めてオリジナル性が高いだろうが、「金剛界菩薩群パート」「大日如来らの如来パート」「明王パート」に分けて講堂いっぱいに二十一仏が所狭しと並び、隠から陽まで人間の感情を惹起するある種の賑やかさは真言密教の過剰さを思わせ、禅の考えとはおそらく真反対だろうが、これもまた面白い。何しろ空海の講堂におけるコンセプトは曼荼羅の“立体化”なのだから。
・金堂
金堂はいちおう東寺の本堂である。拝観するとここも大きな三体の像を祀っており、薬師如来を本尊として、脇侍は日光、月光立像である。その日光月光の表情はたいへんにやさしい。中心の薬師如来の台座には十二神像が配されており、この神像たちは動きがストップモーションしてないような躍動感があってかなり良い。
・五重塔初塔
さて、こちらは今回の特別拝観であり、目玉である。京都の目印はなんといってもこの東寺の五重塔だが、その初塔は年に数回公開され、今回の春の特別公開は今週末までだ。初塔は五重塔の四角い心柱に4体の如来を置き、脇侍を配している。その金色の様子も見事だが、ぼくは壁に描かれている龍や飛天?、あるいはさまざまな僧の画に関心が向いた。堂内で拝観者の質問に応えている堂守の女性に「この僧の画は空海さんのお弟子ですか?」とお聞きすると、「いえ、逆なんです。大師さまの先輩に当たる方たちです」と聞いて、ああそうかと。真言密教を速攻で極めた空海の前の密教を極めた師たちである。教えていただいて曰く、あちらはインドの得度されたかた、あちらは中国のかた、と教えてくださる。ただ、正直いってその顔立ちはみな日本人と変わらない。密教を極めたかたは今のところ8人で、それが描かれて真言八相像というらしい。ちなみに空海さんは7人目に極めた人で、中国などでもその道では高名な方のよう。その像も案内してくれ、この見慣れた姿は教科書などでもテキストでよくみる実像だそうな。じっくりみるととても若い。若き天才、空海。しかも教えてもらい改めてそうか、と思ったのはその先師の肖像はインドからもと聞くと、いま奈良国立博物館でも空海展をやっており、インドネシアから小さな立体曼荼羅像が来ているらしいので、ぼくらが中国〜朝鮮〜日本に渡る東アジア的仏教のイメージだが、実際はインドにはじまるもっと南アジアも含む広い教義の上に空海も引き継いでおり、日本化されないルーツを改めて思う一瞬であった。
・宝物館
講堂、金堂を二回見てからこの宝物館に来たので時間は午後4時になっていた。残るはこの宝物館と観智院というところなのだ。宝物館の受付で「おや、観智院は四時半に閉まりますよ。お早く」とアドバイスされ、宝物館を手早く見学。2階の毘沙門天も心刺さるものがあり、しかしその中でも片目が異様に飛び出た一刀彫りである木造の手足がもげた立像のインパクトがすごい。「夜叉神像」というらしいが。この異様な像ほどではないが、同じように完成に至らない木造彫刻も飾られ、なかなかにマニアックな関心を呼び起こす。端的に水木しげるさんのマンガ、鬼太郎の親父さんが身を崩れ落とす前の姿に見えなくもない。
また、これは模造だと思うが、国宝の胎蔵界金剛界曼荼羅も見ることができる。少し時間があればもっとゆっくり拝観したいところ。
・観智院
慌てて4時半直前に観智院に入院する。実はここは宝物館同様全くの初めてで、どんな場所なのかも知らなかった。院のご僧侶?が「これから各室を閉めるところです」と苦笑い。思わず恐縮する。入ると中は意外にも書院づくりの作庭などになっていて、思わず息を呑む。中には唐の時代に彼の国から運ばれた平安時代の五体の菩薩像もあり、かつ驚くことに宮本武蔵筆の襖絵もあり、文字通り「へえー」となる。それらの襖絵が描かれた和室を手短に説明しながら、部屋が閉じられていく。宮本武蔵が書を書くだけでなく、絵心があったのも唐突で驚くし、なぜまた東寺で?という素朴な疑問に答えてもらういとまもなく次々に襖絵の説明と共に部屋が閉じられていく。「最後の茶室へどうぞ。私は手前から部屋を閉じていきます」と言い残し、ご僧侶?は行ってしまわれる。で、最後の茶室に思わず「これが茶室か!」と驚き、唾を飲み込んだ。まさか典型的な贅沢なまでの書院づくりの作庭を見通せる茶室に入れるとは。人生の怠け者として生きてきたものには過ぎた贅沢と思うしかありませんでした。
本日は以上。お疲れ様です!