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新発田藩を救った偉人 井上久助

はじめまして新発田の革命児、広岡 けんじろうです。

先日、新発田藩の歴史を学ぶために書籍を購入。

藩物語 新発田藩 著者 鈴木康さん

初代、溝口秀勝氏から廃藩置県まで273年間もの間一度も藩主が変わらず溝口家が新発田を統治してきました。

長い歴史の中で、新発田藩は存亡の危機に立たされた事がありました。

塩止事件
1660年万事3年10月10日に 
井上久助は斬刑されてしまいました。
(いのうえ きゅうすけ)

なぜ井上氏は罪に問われたか??

明暦末期に新発田藩と会津藩で物々交換を行うのが恒例と成っていました。

新発田藩は塩、会津藩は蝋燭(ろうそく)の物々交換でした。

ですが、会津藩の蝋燭の輸出がピタリと途絶えた為に新発田藩も塩の輸出を辞めました。

その事に会津藩を刺激してしまい「塩は領民の生死に関わり、また重要なる兵糧である。塩止めは敵対行為である。新発田藩主はいかなる意図ありや!」と詰問状を送り、事件は大事に発展しました。

会津藩は親藩23万石の大きな藩、新発田藩は外様5万石と小さな藩と圧倒的に不利な状況でした。

会津藩がやる気となれば、新発田藩は太刀打ち出来ません。

その時、一人の男が新発田を救う為に立ち上がりました。

井上久助です。

彼は溝口家に恩義があり会津まで出向き、「塩の輸出を妨げた原因は私で、私が塩を着服した」と嘘を付き斬刑に処されました。過酷な拷問にも耐えたとの事です。

一人の偉人の行動で新発田藩は存続する事が出来ました。

今の新発田があるのも、偉人の方々がバトンを渡しているからだと実感します。

どの土地にも歴史があり、文化があり、何時までも尊重すべきモノ、世界遺産や文化財にならなくとも、先祖代々から引き継がれたストーリーは何よりも宝物だと思います。

おしまい


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